バッハの1番目の妻、バルバラ亡きあと、2番目の妻としてバッハを支えたアンナ・マグダレーナ。
彼女によって書かれたとされている、「バッハの思い出」は、実は1925年、エスター・メイネル
という、おそらくバッハの信奉者だったであろう女性によって書かれたものだそうです。
この事を知ったのは、ごく最近の事で、ずっとアンナが書いたものだと思っていました。
それにしては、上手く書かれ過ぎているなと思ったりしてはいたんですが、バッハの生涯を良く知る人が読んだら、
そのエピソードのうちの幾つかは、想像の産物である事が分かるだろう・・・とされています。
もちろんバッハが生まれたのは1685年で、まったく時代錯誤である事は、明白ですが、
読み物としては、けっこう面白かったので、この事実を知った上で読むのは、まあいいかなと思います。
ことの発端は、独訳された時に、著者の名前が伏せて出版された事らしいですが、ドイツでは、
周知のことだったらしく、これが日本に紹介されたところで、勘違いが始まってしまったらしいです。
アンナ・マグダレーナが書いたものが残っていたら、本当に興味深いものだっただろうと、
残念に思いますが、アンナ・マグダレーナのためのクラヴィーア曲集など、作品から、
当時に思いをはせてみたいと思います。
ところでこれも周知のことですが、朝8時にかかる、レ―ソラシドレ―ソ、ソ、と、
シーラーソーラーレ、レのメロディーも、バッハのものではありませんよね。
これは、ぺツォルトの作品である事は、かなり浸透してきました。
この2つの作品は1連のもので、Gdur―Gmoll―Gdurと演奏されるのが正式です。
蛇足ですが、朝8時にかかる音楽は音域の関係か、Cdurで流れていますし、左手の形も違っていますよね。
この曲を弾くようになった、ちびっこたちは分かっているのかな~~??
古い時代になると、謎な部分もより多くなるし、それだけ魅力的ということなのかもしれません。
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