あえて「学ぶ」
と書いてみました。
私たちは何故ピアノをはじめとする芸術を必要とするのでしょうか?
ピアノを習わせる時、
「音楽を好きになってもらいたい」
「大人になっても音楽を友として欲しい」
もちろんそうです。。。
歳を重ねても、心の友としてピアノなど楽器が弾けたりすると、どんなに素敵でしょうか。
しかし、もう少し深い意味もあると思うのです。
「芸術家」と言われる人たち・・・詩人、作家、作曲家、画家が、戦時下で一番にやり玉に挙げられるのはどうしてなのでしょうか?
ソビエト政権下での作曲家ショスタコービッチや作家ソルジェニーチン、チェリストのミッシャー・マイスキー。ドイツナチス政権下での多くの作家や画家の弾圧もありました。 特にヒットラーは若い頃画家を志し挫折したことから、前衛芸術家達とその作品を弾圧しました。
イケメンで有名なショパンコンクールの覇者、中国のユンディ・リーの先生であるタン教授も毛沢東政権下での過酷な労働を経験しています。
まだまだ多くの芸術家たちが、想像を絶する体験をしています。
もちろん日本でも戦争中は過酷な現実がありました。
私の知らない事もまだまだ多くあるはずです。
芸術家がそんな時に弾圧される・・・
何故なのでしょう?
それは、「芸術」というものが、ものの本質を見抜こうとする行為そのものだからにほかなりません。
真実とは何か?
生きるとは何か?
愛するとは?
人はどこから来てどこへ行くのか?
多くの芸術や学問がこれらの事を問い続けてきました。
自分なりにその事を問い続けながら、人生を歩いてゆくのだと思います。
より美しいもの
より正しいもの
より優しいもの
より強いもの
etc.
色々な形で、真実を探し続けてゆくのでしょう。
もちろん私も探している途中です。
おそらく10代の頃よりは近付いている気がします。
でも時には幼い人から学ぶ事もあるでしょう。
よく考える。
よく感じる。
あるときは真面目に。
ある時は愉快に。
ある時は少しふざけて。
ある時は悲しみの中で。
怒りや喜びもあるでしょう。
多くの感情の本質に迫る事が出来るように。
でも、正しいだけでもない。
楽しいだけでもない。
音楽をはじめとする「芸術作品」を前に、作家や作曲家と向き合い語れたら。。。
そんな風になるまでピアノを続けたいと思うのです。
決して難しい曲をひかなければ近付けない世界ではないかも知れませんが、とことん向き合わなければ見えて来ないのかも知れません。
耳をすまし心を開いて、本質に迫りたいと願っているのです。
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