米子 西野ピアノ教室 musica felice

米子市のピアノ教室・・日々思うこと徒然なるままに。
幼児から受験生、大人の方いらしてます。
音楽は心の対話ですね。

耳が良いということは・・?

2015-10-10 05:49:21 | おもうこと
耳が良いということはどういうことでしょう?

今の時点で思っていること、、今日はちょこっとだけそれを書いてみます。
このお題はちょっと恐れ多いのですが・・・



耳が良い(本当に聴き取る力)には3段階あるとおもいます。


①ソルフェージュの力としてのドレミが分かる耳(絶対音感など)

②音の質、響きが分かり判断できる耳(多くの楽器の演奏や声などをよく聴き、判断できること)

③心あるいは魂で聴くことが出来る(人生の経験を積み、深い人間理解が必要)


①や②がさほどなくても③だけは分かる、、人生の達人、つまりみんなのお祖父ちゃんやお祖母ちゃんにもいらっしゃると思います。
逆に、①だけあっても、②がなかったら、良い音楽は奏でられないかも・・・③まで聴き取ることが出来るには、心の勉強をたくさんしなくてはならないこと。
そんな話をちょこっと簡単にしたりすることもあります。

子供たちには「耳が良い、には3段階ある。ドレミが分かるだけでは本当に耳が良いとは言えないよ。」と言っています。
これは幼い子でも理解できるようです。


ソルフェージュとしてやたらドレミだけ分かる耳であることで、本当の音楽的なものから遠ざかってしまうこともあるかも知れません。
しかしまた、ドレミがしっかり分かる(単音ばかりではなく和声も)という事が出来なければ、複雑な演奏は出来ません。
ほんの微細な違いも判断できる耳は、演奏技術として必要なものです。



1段階目として、ドレミ・・が聴きとれるようにトレーニングします。
そのことは、手段と言いますか、音楽を演奏する時の道具としての音感などソルフェージュの力をつけることです。
幼い時にこのトレーニングをすると、殆どの場合、判断できるようになります。

4~5歳ぐらいが適期といわれ、7~8歳くらいは臨界期?という情報も聞いたことがあります。
実際、言葉を覚える時期に重ねてトレーニングすると、音感がつきやすいのですが、これは脳の言語野で処理されるようです。
ですから、言葉を覚える時期に同時進行で音感訓練するのが一番良い時期ということになりましょう。


レッスンでどのようにするかと言いますと・・・。
例えばうちでレッスンしていることは・・まず和音判別と言って音(主に和音)が変わったら立ったり座ったりするゲームや、布をひらひらさせて音の上行・下行に合わせて動かしてみたり、音に反応して音と一緒に体全体を動かす遊びをします。

そののち、短いセンテンスのメロディーを“模唱”と言って真似して歌ったり、“聴唱”と言って、自分で聴きとって歌ったりします。

少しタイミングをずらして、和声の簡単なカデンツも歌います。

聴覚・・とはまた多少違いますが、リズムも短いセンテンスを真似して打ったり、次第に長くしたり、カノンのように打つことと聞くことをタイミングをずらして同時に二つ以上のことをしたりします。

はじめはC-durから始まり、G-dur、Fdur・・・と増やしていきます。
耳のトレーニングがある程度できたところで、ピアノの個人レッスンが始まります。

リトミックやソルフェージュをたっぷりした後で(1~2年間鍵盤をほとんど触らない)、やっと“弾く”をするので、“待ってました!”という心の状態も出来ていますし、リズムや音が分かる、読譜力も付いている、、となると、自信が出来て、とても嬉しそうに積極的に練習してきてくれます。

こういう事は、音楽の初期教育で大切なことです。


2段階目として、色々な音の種類を聴く。
色々な楽器の音色だったり、言葉で「ああ」と言っても、多種多様な表現やニュアンスがある様に、その音のもつエネルギーや質を聴き分けること。
そういうことは大切ですし、本質的な事で、ソルフェージュとしての耳は、道具のようなものかも知れません。もちろん無くては困ります。

演劇する時のセリフを言う時、或は相手の声色を聴く時、、声の美しさだったり幅広さだったり力強さだったり、、そういうこともあるかも知れませんね。喜び、悲しみ、怒り、あきらめ、ユーモア、、さまざまな感情もそこに宿っているのでしょう。クオリアの世界。

そして感じるのは、これはソルフェージュと同時に・・・というより、その前にリトミックとして音楽を感じる心を育てるのが一番良いように感じます。
何より、親子で音楽を楽しみ、ごっこ遊びのようにたくさんの音楽の喜びを味わうレッスンです。
ここで、楽しい!とか、面白い!・・時々ふしぎ~や、ちょっとこわい~等色々な体験が、その子の一番柔らかい感受性に訴えかけて、大切な素地を作るのだと思います。

ですから、音感教育など具体的なソルフェージュの前に音楽をダイレクトに感じるレッスンが必要と思います。
もちろんレッスンでやったことを家でさらに普段の生活に取り入れて楽しんで頂ければなお良いですね。


3段階目の耳は、なかなか大変。

とても奥深いもので、簡単に説明することなど出来ません。
人というもののはかなさ、愚かさ、悲しさ、あるいはデモーニッシュな部分等もあるかも、、そういう全てを含んでの人の存在の不思議さや素晴らしさ。。
行きとし生けるものへの深い眼差しや尊厳、宇宙的存在としての不可思議さ壮大さ。。
死ぬほどの思いをして、孤独に耐えて、やっと手にすることの出来る領域なのかも知れませんね。


音楽とは、芸術とは実に深く巨大な世界なのだとつくづく思います。


小さな幼児に・・例えば2~3歳でリトミックなどをするときは、①のソルフェージュより、②の音楽そのものを感じてもらうのが先だと思っています。

お付のちびちゃん、お姉ちゃんが弾く曲には反応しなかったのに私が弾くと、踊りだしたり、ブルグのバラードなどを弾くと「こわーい」と言ってお母さんにしがみついたり、ダイレクトに感じてくれているのだなぁと思います。
お姉ちゃんが練習しているうちに上手になっていくとご機嫌で踊ったりするようになるらしいですよ。
面白いですね


「色を見て、色の語ることを聴いていない」
とはよく言った言葉で、分かり易く言えば、包装紙できれいにラッピングされている外側に気を取られ、中身が見えていなかったり、どういう気持ちでそのプレゼントを贈ってもらったのか想像することが出来ない。。気持ちを汲み取ることが大切なのですね。


もちろん自分が何でも分かるというのではなく、分かる人になれたら・・・ということ


中国の言葉・・だったと思いますが・・・
「人籟(じんらい)」「地籟(ちらい)」「天籟(てんらい)」
という表現があるそうで、今日のお題の3段階の耳と似ているのかなぁ・・と思ったり。。
「汝、人籟を聴くも地頼を聴かず、地籟を聴くも天籟を聴かず」
おそらく亊か笛の音を聴いているときの師匠から弟子への言葉だったかな?
記憶違いだったらごめんなさい
奥深いですね


さてさて今日もそろそろ終わらねければ~
ちょっとややこしい表現だったかも~
オタクなのでお許しあれ・・


ジャン・コクトーというフランスの芸術家(詩人)の短い言葉を見つけたので、最後にその言葉で終わります。

「芸術、それは肉づけした科学だ」

端的な言葉ですね

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