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ところで、私が利用しているある駅前に大きく「かまどか」というお店の看板があります。
それを見るたびに毎回、自分の名前かとびっくりします。
ある方のご主人が、私の名前を「まど・かまこ」だと思っていた方がいました。
「まどか・まこ」というのは、どちらも好きな名前をくっつけただけなので、苗字のない名前だけになってしまい、途中で変えようかと思ったこともありましたが、出版社に反対されてそのままになってしまいました。
でも、変だと言っていた某出版社では「かとう・まどか」でお風呂絵本を出しています。
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イギリスのブレア首相が過去にアフリカから黒人を奴隷として連れてきた事に関して、謝罪したことが問題となっている。
反対派の意見は、過去と今の自分達と何の関係があるかというものが多かった。 奴隷達と同じ鎖を手につけ、首には枷(かせ)をはめて「So Sorry」と書かれたティーシャツを着た数人がロンドンまでデモンストレーションしたが、教会関係者の多くに迎えられた。
かつて、奴隷証人であったが、悔い改めてクリスチャンになったジョン・ニュートンが作った「アメイジング・グレイス」を大合唱していたのが印象的だった。
過去があって今の私たちがいる以上、間違ったことはどこかで誰かが勇気を持って誤るべきだ。
その問題の影響は実際的なことだけではなく、霊的にも大きく響いているから当事者でなくても、人と神に対する謝罪は必要だと思う。
私はもともと、プロテスタントなので、カトリックの迫害殉教には興味が無く、自分には関係ないと思っていた。
しかし、拙著の「日本キリスト教史 上・国籍は天にあり」は、「なぜ26人の方々が、殉教しなければならなかったのか?」という疑問から始まった。
約四百年前、秀吉の時代彼らは、信仰ゆえに公の殉教者となったことは、知っていたが、その経過を知りたかった。
そして、古本屋で「キリシタン拷問史」という本を立ち読みした時は、あまりのすざまじさに尻込みしたが、どうしてもこれを人々に伝えなくてはならないという迫りを感じた。
資料を読めば読むほど、国家的にキリシタン達を全滅させる政策が取られてきたことは、自分の罪でもあると感じた。
今、自分がいることは、先祖が、直接か間接的にも迫害者か、棄教者の子孫の可能性が強いからである。
そのため、毎日のように悔い改めの祈りに導かれ、これを分かりやすく人々に伝えたいと祈った。
そして、「この祈りは聞かれた。」と神からの語りかけを受けた。
その後、プロテスタント史を書くに当たって韓国・中国の上海・北京・南京・旧満州へと謝罪の祈りをしに導かれた。
旧満州のラスト・エンペラーが住んでいた家の庭で彩雲を見たことが印象的だ。
これらの悔い改めの祈りは、けっしてむだではなく、霊的な壁を破ることにもつながっている。
今、日中戦争突入の所を書いているが、ロシアにも謝罪の祈りをしにいきたいと祈っている最中である。