孤児の父・ジヨージ・ミュラーが学んだドイツのハレ大学には教授のフランケという方がいました。
フランケはジヨージ・ミュラーが生まれる78年前に亡くなっていますが、祈りによって孤児たちを養い、孤児の友と呼ばれたのです。
ハレ大学の学生で貧しいものは、一時的に孤児院に住むことが許されましたが、ジヨージも、そこに住んだことがありました。
そのフランケの孤児院は、世界遺産になっていますが、彼の意思を受け取ったジョージは、精神的な世界遺産ですね。
そのジョージは、日本に来たことがありますが、石井十次がその意志を受け継ぎ孤児院を作り2000人の孤児たちを養いました。
神の鎖はこうして人々を動かし続くのです。