人は、自分が罪びとであり、その罪のためにイエス・キリストが身代わりとなって十字架にかかってくださり、3日目に復活されたことを信じ、イエスを主と告白した時に救われます。
その時、聖霊と言う神様の霊が私たちの内側に入ってくださいます。
聖霊は、助け主でもあり、内側にいていろんなことを教えてくださいます。
そして、イエス・キリストを信じた時、私たちの目標はキリストに似たものになっていくことです。
神であるキリストのご性質と言うのは、愛・喜び・平安・寛容・親切・善意・誠実・柔和・自制で、これを御霊(みたま=聖霊)の実と言います。
私たちの内側におられる聖霊が、助けて結ばせる実だからこう呼ばれています。
クリスチャン歴が長ければ、よりその実を結んでいてもいいはずですが、私たちが自我を握っている場合、その実を結ぶことはできません。 内におられる聖霊に、自分自身を明け渡していかないと、その実を結ぶことが難しいからです。
自分自身を明け渡すということは、神様に自分自身を捧げることであり献身を意味します。
これは、牧師になるということではなく、聖霊の導きに敏感になり聖霊の助けによって歩むことです。
この意識がないと、自己中心・自己実現でいっぱいになり、人を押しのけてでも自分をアピールするようになります。
それでは、御霊の実を結ぶことはできないし、いつまでたってもキリストに似た者にはなれないのです。
そして、イエス様のようにへりくだった者にはなれないのです。
少しでも、キリストに似た者になれるように、祈っていきたいですね。