
今日は、お誕生日です。
今、とても良い文章を読みました。
スポルジョン夫人のお話です。
彼女は、30代半ばから、10年近く、病気で寝たり起きたりの生活をしていました。
その中で、貧しい牧師たちに、書物を送る働きをしました。
これは、大きく用いられましたが、自分は霊性が落ちるような苦しみの中にありました。
ある時、「なぜ自分は、こんなに苦しいところを通るにだろうか?なぜ、こんな痛みが送られてくるのか。」と心の中苦悩していると、真冬なのにコマドリの鳴き声が聞こえてきました。
それは、暖炉の中の燃える木から聞こえてきました。
樫の木が、燃える音がコマドリの鳴き声のように美しく鳴っているのです。
古い樫の木の内奥に閉じ込められた音楽を解き放っているようでした。
まだ若い木だった時に、鳥の声や穏やかな太陽の光を浴びてきた木が、年を取り火の中にくべられることによって、そこでしか出せない歌声を解き放っていたわけです。
患難の火が、私たちの賛美の歌を引き出すのだとしたら、私たちは潔められ、神は栄光をお受けになると気がつきました。
冷たく硬い、鈍感な者が、美しい賛美をするには燃える火に取り巻かれなくてはならないと。「火の中の歌」!
固く無情な心から美しい和音を引き出すために、患難の中を通るしかないのなら、以前よりも7倍も燃やされますようにと祈ったのです。