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シーモアは、黒人だったので、パーハムの授業に出ることができずに窓の外で、学んだと言われています。
1906年に、シーモアは、カルフォルニアのロサンゼルスに行きました。
ある教会で、メッセージをすると、追い出されてしまいました。
しかし、その教会にいた黒人の夫婦が、古い家でよければと、彼らの家に招いてくれたのです。
そのボニーブレアハウスで、集会が持たれるようになりました。
噂を聞きつけた人々が、ボニーブレアハウスに集まってきました。
人々が溢れて、家に入ることができないので、シーモアは、玄関お横にあるベランダに立ってメッセージを語りました。
4月9日に、「主をほめよ!」と叫ぶと、みんなが聖霊に満たされペンテコステの再現がなされた時、家の床が抜けてしまいました。
そこで、かれらは、別の集会所を探しました。
14日に、アズサストリートにあった馬小屋で、火事で半分焼け残った建物を借りて教会にしたのです。
当時のアズサストリートは、墓石屋や馬小屋などがある地域だったそうです。
ここで、御霊の賜物を用いたリバイバルが起きたのです。 つづく