東京の中心は、どこかというと、皆さん中央区あたりと思うかもしれませんね。
ところで、今から1200年以上前の741年、天平13年のことです。
聖武天皇の時代、飢饉や災害や疫病が流行りました。
そこで、全国にあった国府、つまり政治を司る所ですが、その近くに国分寺と尼寺を立てるようにとおふれが出ました。
武蔵の国、つまり関東の国府は府中にありました。
そのために、国府から22キロの所に武蔵国分寺と尼寺が建てられたのです。
武蔵国分寺は、壮麗で規模も全国で一番大きな物で、見物客がたくさんやってきました。
そういった方々のために、いまでいうホテルやレストランなどができ、どんどん発展していったのです。
これが、東京の始まりです。
地図でも国分寺と府中は東京の真ん中にあります。
東京アンテオケ教会は、はじめ国分寺からスタートしました。
一時、西国分寺の鉄道学園を借りていた事がありますが、この鉄道学園の一部から国分寺の遺跡が発見されています。
たぶん、大きさから言ったら、鉄道学園そのものが、国分寺の敷地に入っていたのではないかと思います。
神様が導かれた国分寺の地ですが、意味があるのですね。