クレームじゃない続 2021-06-14 18:31:00 | 日記 旦那さんとこの学校で「親が大変や〜」ゆうねんけど親ってクレーマーにならへんようにけっこうビクビクして、ガッコに連絡してると思うガッコのセンセたちは忙しすぎて親から電話=めんどい案件やってジャッジして最初からめっちゃプロテクトする「怒らせないよーに、怒らせないよーに、とにかくだまって、話を聞く!聞く!とにかくハイハイゆうとく!!」なんてなんて孤独なんやろうクレームじゃなかったのにクレームになってまうよ今日一日
クレームじゃない 2021-06-14 18:28:00 | 日記 うちのわんこ、最近水ようさん飲む持病の症状かもやねんで、電話してんやんかほしたらね…ひょっとしたら、センセやスタッフさんたちは、クレームって思たんやろか?なんか扱いが雑でめんどそうでだから私「でも元気なんで大丈夫です〜」ゆーてもた既視感ある私も子どもの頃、お腹痛くてお腹痛いゆーたら怒られたお母さんは、私がお母さんの育児にクレームつけたと思いはったんやと思うだから、怒って自分を守ってたんやと思う怒られる方がなんかつらいから私は「大丈夫へいき」「なんでもない」って言うようにしてきた…お前のせいで不調なんじゃとかどうしてくれるねんとかなんとかせーやとかそんなこと思ってないねんなおらんくてもいいねんほんまは「どれどこ?ちょっとこっち来て。みせてみ」ってゆうてほしかってん今日一日
零れ落ちる2 2021-06-14 08:39:00 | 日記 その日暮らしの人が、なけなしの日当を、貯金せず、酒やタバコに使ってしまう話を思い出した。零れ落ちるの例やと思う。同じ1人の人でもそれは起こる。教育とか啓蒙とかって、零れ落ちないようにしましょうって零れ落ちた人を他者化すんのではなくて理性的合理的市民でもときに零れ落ちます、零れ落ちた者を他者にしません、であるべきと思う。今日一日
ケアを共にすること5. 2021-06-14 08:28:00 | ケアするのは誰か? (十分な合理性を備え、自分たちの生活に関する決定をする際に、理性のみを働かせて行動するといった)市民像は、しかしながら、人間のある特定の部分を捉え、民主的な包摂を限定してしまっています。たとえば、人びとが脆弱で、必要に駆られ、あるいは感情的な衝動に応じているとき、どういうわけか、彼女たち/かれらは、「市民」の定義に入るものとしてわたしたちが想定する者たち以外へと零れ落ちてしまいます。おそらく、わたしたちが目指すべきは、完璧な成人である時にのみ、わたしたち自身を市民だと考えるのだけでなく、わたしたちは、その人生を通じて市民なのだと認識することでしょう。日時2021年6月20日(日)14:00〜16:00場所NPO法人ガジュマルの船事務所およびオンライン(zoom)内容AAの「12のステップ12の伝統」を読んでシェアします。