月経・妊娠・出産・中絶・育児・介護・家事
これらは、男性(普遍・一般・オブジェクト)によって周縁化(他者化・サブジェクト)されてきた。
周縁化による弊害は、周縁化されたものがそのすべての被害を被るにも関わらず、それについての決定権をもたない、ということだ。これにつきる。
せいぜい許可制。
さて、これらの中で、育児・介護・家事は、「行動」である。「ケア」である。
「ケア行動」は、生まれた時の性別、現在の性自認などは関係ない。ないない。
よって、周縁化されてきたものが「周縁化をやめろ」「すべての人が当事者になれ」「決定権をすべての人の手に」と主張され、実現されるべきである。
一方で、妊娠・出産・中絶は、ケア行動ではない。生まれる時に自分の性別を自分の意思で決められないのと同様だ。
これらはまさに周縁化されてきた。
「女の問題」「女だけの問題」だった。(そしてまさかのこうも言われてきた。「妊娠出産は女性の特権だ。特権なのに感謝こそすれ、なぜ不平不満を言う」は?は?)
「俺たちはよくわからない」
そして、前述したようにこれによる一番の弊害は、
「よくわからないが、俺たちがそれをどう扱うか決める」だ。
決して血を流すことのない者が、必ず血を流す者の価値を、振る舞いを、思想を、さだめる権限をもっていて、それを濫用してきたことだ。
ではやはりこれも、「周縁化をやめろ」「すべての人が当事者になれ」「決定権をすべての人に」と主張するのが妥当だろうか?
私はそれは、不可能だと思う。
絶対に当事者になれない者が存在するからだ。
そして、絶対に当事者になれないものがいま、既に決定権を持っている。二重に決定権を付与する意味は?
リプロダクティブライツについては
周縁化するな=一般化しろ、ではない。
そうではなく、
周縁化するな=当事者に決定権を返せ
である。
当事者に決定権を移行し、当事者でないものは決定権を放棄すること。
…ここで「当事者とは誰か」という問題が浮上してくるようなのだが、私は理解できない。
「当事者を女性と限定してしまうと、トランスやノンバイナリーを排除することになり、家父長制に加担するのと同様だ」という意見を見た(から頭の整理をするためにここまで書いてしまった)
どのように排除するんだろう?
「あなたは性自認が女性じゃないから、女性の体を持っているけれど、妊娠・出産・中絶について決定権はないよ」って言われるとか?かな?
これについては、表現だけ変えたら解決では?「女性」が排除的ならば、「妊娠の可能性がある人」…わからん思いつかん。
逆に、どうだろう、「バイアグラは男性特有の問題だ」
この場合、当事者はすでに決定権を持っており、すみやかに国内でのバイアグラの認可が降りた。
女性から男性に性別移行した方が、このことによって排除されただろうか?…されたの?どうやって??
(バイアグラの認可や保健適応の問題は…実は逆に、これこそ、男性特有の問題と周縁化してはいけないのでは。だって、EDが克服できたあかつきにも、妊娠出産中絶するのは、男性ではなく、けっきょく、女性なのだから)
「女性特有の問題だ」と唱える時、問題になるのは、「にも関わらず、女性が決定権をもっていないこと」である。
「女性特有の問題ではない、これは全ての人の問題だ」と唱える時、問題になるのは、「女性だけに特権をあたえるのは正義ではない」と論点をずらすことで、女性のみが負う身体的精神的責任を、矮小化してしまうことだ。