ママラボ➕(ぷらす)

摂食障害からの回復を目指して 月一zoomで12ステップミーティングをしています 次回は2021年9月26日

オルタナティブとしてのHR2.

2022-02-04 13:32:00 | アディクション・スタディーズ
「制度内で起きることについての永続的な分析」の必要性は、最近話題を集めた東畑開人によるデイケアの分析にも見出すことができるだろう。

彼は、「駆け込み寺」ないし「避難所」としてのアジールと文字通りの「収容施設」であるアサイラムが語源を同じくすることに範を取り、いわゆる「居場所型デイケア」はアジールであるが、容易に平準化されたアサイラムになってしまうこと、そしてその原因が効率化や経済性を求める「会計の声」にあることを分析した。

ここでもやはり、デイケアという制度のなかで起こっていることの永続的なる分析が必要とされるだろう。

同じことは、依存症臨床にも言える。

安全装置の時代において権力が絶えざる管理を課し、人々を平準化させようとするのだとすれば、それに対するオルタナティブは、やはり制度自体の絶えざる分析によって可能になるしかないと考えられる。



日時
2022年2月27日(日)14:00〜16:00

場所
NPO法人ガジュマルの船事務所およびオンライン(zoom)

じゃあこれは?あれは?

2022-02-04 13:25:00 | 日記
ある人が帽子がなくて困っていたので、帽子を探して持ってきて被せてたら、

「あのー、そのひとだけでなく、この人も帽子がないんですけど、この人は助けないんですか?」

って言われたら、どうするだろう?

帽子を探してきた人が、さらに「他の人をたすけないなんて、ひどい!」って殴られたら、どうするだろう?

殴られたひとが、殴った人を庇うなんて、なにが起こってるんだろう。



周縁化

2022-02-04 09:22:28 | 日記
月経・妊娠・出産・中絶・育児・介護・家事

これらは、男性(普遍・一般・オブジェクト)によって周縁化(他者化・サブジェクト)されてきた。

周縁化による弊害は、周縁化されたものがそのすべての被害を被るにも関わらず、それについての決定権をもたない、ということだ。これにつきる。

せいぜい許可制。

さて、これらの中で、育児・介護・家事は、「行動」である。「ケア」である。
「ケア行動」は、生まれた時の性別、現在の性自認などは関係ない。ないない。

よって、周縁化されてきたものが「周縁化をやめろ」「すべての人が当事者になれ」「決定権をすべての人の手に」と主張され、実現されるべきである。

一方で、妊娠・出産・中絶は、ケア行動ではない。生まれる時に自分の性別を自分の意思で決められないのと同様だ。

これらはまさに周縁化されてきた。
「女の問題」「女だけの問題」だった。(そしてまさかのこうも言われてきた。「妊娠出産は女性の特権だ。特権なのに感謝こそすれ、なぜ不平不満を言う」は?は?)

「俺たちはよくわからない」

そして、前述したようにこれによる一番の弊害は、

「よくわからないが、俺たちがそれをどう扱うか決める」だ。

決して血を流すことのない者が、必ず血を流す者の価値を、振る舞いを、思想を、さだめる権限をもっていて、それを濫用してきたことだ。

ではやはりこれも、「周縁化をやめろ」「すべての人が当事者になれ」「決定権をすべての人に」と主張するのが妥当だろうか?

私はそれは、不可能だと思う。
絶対に当事者になれない者が存在するからだ。
そして、絶対に当事者になれないものがいま、既に決定権を持っている。二重に決定権を付与する意味は?

リプロダクティブライツについては

周縁化するな=一般化しろ、ではない。

そうではなく、

周縁化するな=当事者に決定権を返せ
である。

当事者に決定権を移行し、当事者でないものは決定権を放棄すること。

…ここで「当事者とは誰か」という問題が浮上してくるようなのだが、私は理解できない。

「当事者を女性と限定してしまうと、トランスやノンバイナリーを排除することになり、家父長制に加担するのと同様だ」という意見を見た(から頭の整理をするためにここまで書いてしまった)

どのように排除するんだろう?

「あなたは性自認が女性じゃないから、女性の体を持っているけれど、妊娠・出産・中絶について決定権はないよ」って言われるとか?かな?

これについては、表現だけ変えたら解決では?「女性」が排除的ならば、「妊娠の可能性がある人」…わからん思いつかん。

逆に、どうだろう、「バイアグラは男性特有の問題だ」
この場合、当事者はすでに決定権を持っており、すみやかに国内でのバイアグラの認可が降りた。
女性から男性に性別移行した方が、このことによって排除されただろうか?…されたの?どうやって??

(バイアグラの認可や保健適応の問題は…実は逆に、これこそ、男性特有の問題と周縁化してはいけないのでは。だって、EDが克服できたあかつきにも、妊娠出産中絶するのは、男性ではなく、けっきょく、女性なのだから)


「女性特有の問題だ」と唱える時、問題になるのは、「にも関わらず、女性が決定権をもっていないこと」である。

「女性特有の問題ではない、これは全ての人の問題だ」と唱える時、問題になるのは、「女性だけに特権をあたえるのは正義ではない」と論点をずらすことで、女性のみが負う身体的精神的責任を、矮小化してしまうことだ。