相手の期待に応えられなかったときに抱く罪悪感がある。
たとえば、自分がカッとしてであれ、計算ずくであれ、相手を殴ったり、罵ったり、放置したときに、相手が苦しんでいるのを見たときに抱く種類の罪悪感。
自分の積極的な行動が原因のとき、罪悪感抱くのは、まあ、なんというか逆に正常では?なんとも感じないのはサイコパスよ。
だいたいどんな場合であっても殴ったらあかんねんからさ。
ここで「殴った自分の拳も痛いんじゃ」とか「殴りたくないのにお前が俺に殴らせるんじゃ」ってなったら病気です。go to hospital。周りの人間は速やかに逃げようね。
うーん、殴った相手が痛いと言うのを聞いて、責められているように感じる…っていうのが、罪悪感のモトやろか?非難されなくない!耐えられない!って??
自己中やなあ。痛いのは相手やで。
自分がしたことを認めることが第一歩、非を認めて、謝って、二度と繰り返さないこととか、そのあとやることいっぱいあるので、罪悪感に酔っ払ってる暇はないです。
into actionで、手放させてもらう。手放させてもらえる。
次に、相手の期待に応えられなかったときに抱く罪悪感は…
ほぼ、ほとんどの場合、持たんでええやつ。きっぱり。
そもそも論なんやけど、その相手はほんまにあなたにそれを期待してる?
または、相手の期待が的外れじゃない?
ここから。
案外相手はそんなに自分に期待してなかったりするし、無理難題押し付けてるんなら、相手の問題なので、あなたは無力。相手も罪悪感も手放しましょう。
そうじゃな場合…
そやな
自分がケーキ嫌いやとするやん。
相手はあなたが喜ぶと思ってケーキ買ってくる。
あなたは食べたくない。でも、食べへんと罪悪感あるやん。「喜んであげなきゃ、期待に応えなきゃ」と思って無理やり食べる。
吐いちゃうやん。
「ありがと、でもケーキ無理やねん、ほんまごめんな」これでええねん。
これで相手がもしブチギレたらその人とは一緒にいない方がいいと思うよ。
もしその人が「一緒にケーキ食べるのが人生にとって欠くことのできない大事なこと」なのであれば、残念だけどやっぱり一緒にいない方がいい。その人にとっても不幸じゃん。
てゆうか、相手の方からあなたと一緒にいなくなるよ。
解決策ってさ、ケーキ食べれるようになるスキルをあなたがお金払って習いに行くことではないよ。
それでもなお
「あー、私この人とケーキ一緒に食べてあげられん…悪いことしてるなあ、ほんま自分ってあかんわー」ってずーっと思い続けてしまって、しんどいーってとき
それは相手の問題じゃなくてまさに自分の問題だよ。
この場合の罪悪感は、まさに高慢です。
相手にとって完璧な自分でないと許されへんっていう。
これ私の欠点ですわ。
この罪悪感って、謙虚っぽく見えるし、健気っぽく見えるねん。もう、大好物よ。
向き合うのつらみだけどさ、「全部私のせい」ってことにしておくの、ちょっと楽なことない?
さらにこれよく見たら
ただの怒りやん笑
ちがかってん。
手放せることやってん。
今日一日