高校・大学受験の制度、私は賛成だ。
出自に関係なく合否が決まるから、階級の流動性が、この格差社会でもある一定の割合、確保される。(だから性差別があったことはまことに遺憾で許されることではないし、もちろん格差による学習機会の不公平もなんとしても解消されなければならない。)
階級の流動性は、民主主義には必要不可欠。そして、治安維持にも大きな役割を果たしている。
階級の流動性がなくなってしまったら、すなわち身分制社会だ。アンシャンレジームに逆戻り。そのような社会は持続可能ではない。
また、どんなに努力してものし上がれない身分制社会では、犯罪に手を染めて稼ごうという貧困の若者を増やす。
この観点から、私は小学・中学受験は反対だ。発達段階が未熟な頃の客観テストは本人の能力ではなく、保護者の財力と熱心さを図るものだからだ。
だいたい同じ階級(財力)の家の子どもが集まり、そのまま高等教育までエスカレーターであがり、社会に出て役職に就くとなると、階級の固定化が強固に進む。
また、未成熟なときに受験を終えてしまうと、その後の知的成長を阻害しかねない。受験がないと、知的成長を必要とする場面になかなか出会えない。
知的成長を阻害された大卒では、中産階級にならず、これもまた、民主主義を破壊につながる。アリストテレスいわく健全な民主主義は健全な中産階級から。
付け加えて、AO入試にも危惧を覚えている。経験を重視する=家庭の財力におおいに関係する。つまり、学生時代に留学できる、小論文専門の家庭教師をつけられる、など。
正誤だけを問うテストの問題点は確かに多いが、昨今の小中学受験とAO入試を知り思ったことでした。