今読んでいる本は2009年出版です。
依存症にも当事者研究は適応できると思って読み始めました。大変示唆深い本です。
しかし、今日読んだところは反感を覚えました。現在この考え方…暴力をY染色体にプログラムされていて仕方のないものだとする考え方は、この10年でアップデートされました。というのも、このような考え方は暴力を免罪するから使わない、というものです。
「哀しい」という表現も、非常に危険です。泣きながら殴る的な表現です。宗主国の人間が「私たちは搾取しなければ生きていけない哀しい人間だ」とポエムを読んでいたらどう思いますか。
この文章は、「個人の力や、具体的な意図を持って組織化された力を超えた力がこの世には存在する」の説明として書かれています。たしかに、生命という悠久の営みの制約はそれにあたると思います。でも、例としては不適切と思いました。
今日一日。