マルソータの道楽日記

東京湾・相模湾の沖釣りと釣り魚料理のブログです。今日も皆様の大漁をお祈りしています。

沖であった本当の話 第2話 釣りを止める理由

2011年01月10日 | 沖であった本当の話
今日は、東京湾の常宿へ行くつもりで早起きしましたが、なんとなく体がダルく、その上海況情報を見ると洲崎灯台で北風16m。釣りはできると思いますが、そうとう寒そうなので自主的に出船取りやめにしました。でも行かない日は食うんだよな。

釣行記がかけないので、ちょっと苦い話を。

今はどんなに夢中になっていても所詮は道楽です。なんらかの理由でいつかは竿と置くときが来るのが道理というものです。過去に沖釣りにはまった友人たちの中で今でも続けている人は数少なくなってしまいました。

釣りを止める理由は、仕事で海外や海のないところに転勤になった場合や、家族や本人が病気などでいけなくなった、失業して釣りどころではない、他に興味のある道楽に目が移ったなど人それぞれです。

でもこれから紹介する話はちょっとおもむきが違うものです。

その方(仮にYさんとしておきます)は行きつけの床屋の親父さんで、もう30年以上も沖釣りのキャリアがあるベテランでした。そのころはある船宿のマダイ船に毎週通うご常連でもあり、ただ長く釣りをやっているというだけでなく、名人といっていいほど腕のいい釣り師でした。その床屋の壁には5キロ、6キロという大ダイの魚拓がところ狭しと張ってあり、竿頭も数しれず、何度もスポーツ紙でお名前を拝見しました。マダイを25枚釣った日もあったそうです。釣りの理論や海の知識も整然としたもので、マダイ釣りの基本はこの方から聞いたといってもいいくらいです。

Yさんに異変がおとづれたのは数年前のこと。床屋に行くと当然ながら釣りの話に花が咲くのですが、その日のYさんの顔色はすぐれたものではありませんでした。

私 「最近どうなの?釣ってる?」
Yさん 「それがさ、ここ一月、顔見てねーんだよ」
私 「何回いったの?」
Yさん 「4回かな」

私 「今食い渋いからね。水温上がればつれるでしょう」

当時ほぼ一月おきに床屋へいったいたのですが、その次行ったときもYさんの顔色はよくありませんでした。

私 「どー、あれから釣った」
Yさん 「ここんとこぜんぜんダメだ。もう二ヶ月もかおみてねぇ」

私 「・・・・・」

それからしばらくして、その床屋を訪ねてみると、なんとなく床屋の雰囲気がちがう・・壁にはってあった魚拓がなくなっているのです。

Yさんはいいました。「お宅は釣りいっているの?、俺はさぁ、釣りは卒業したよ。」

びっくりしました。
釣りの話となればあれほどいきいきとしていたYさんが釣りを止めるとは!
話を聞くには坊主が12回に及んだこと、その結果、なんとなく行く気がしなかったこと。そして釣りを止めるにいたったこと。

30年にもおよぶキャリアの最後が12連ボで終わるとは身につまされるものがあります。
坊主スパイラルは決して笑い事ではなく、大ベテランにて名人釣り師に引導を渡す恐ろしい魔物でもあるんです。

釣り雑誌やWEB上には魚を釣るためのさまざまな理屈が書かれていて、このブログでも自分なりのウンチクをたれているし、それらはある程度精度のあるものだと思うけれど、所詮は海の女神の掌上での遊びということを常に心に留めておく必要があると思うのです。


その後、何度もYさんを釣りに誘いましたが、かれは微笑むだけで、決して同船してはもらえませんでした。

沖であった本当の話 第1話 スソの理由

2010年12月11日 | 沖であった本当の話
今日は釣りの予定だったのですが、南西風6~7mの予報に恐れをなし、中止にしました。
この時期の南西風は予報の2~3倍は吹きます。8時時点の剣崎灯台の風速は南西12m、大型の乗合船なら船は出るかもしれませんが、相当つらい釣りになりそうです。早上がりのリスクもありますし。

残っていたヒラメの柵は、フレンチ風にアレンジしようとレシピをあさっていたのですが、知らないうちにフライにされ嫁さんとガキの弁当のおかずとなりました。天然ヒラメのランチボックスとはなんと贅沢な。

さて、船釣りをはじめたのは'94年の秋です。ですから今年で16年目になるのですが、船上ほか、釣りの世界でいろいろなドラマに遭遇してきました。その中から興味を引きそうな思い出を綴ってみようと思います。

いつだったかヤリイカの湧きがいい年がありました。もうインターネットで釣果をみるのが当たり前の時代に突入した頃だったと思います。(それまでは、スポーツ紙を買うほかなかった)。いつものように夜ネットでその日の釣果を確認しているとある船宿の釣果が次のように出ていました。

ヤリイカ 0~55 入れ乗り。

絶好調です。でも坊主が出るとは入れ乗りというほどでもないのか、名人の一人勝ちか。
釣果に差が付くのは沖釣りでは当たり前ですが、条件さえよければ初心者でもある程度は釣れるものです。この理由として考えられのは、船酔いで竿が出せなかった、あるいは最初から端物狙いの常連で餌のイカは他の常連に供給してもっていたとか。ところが記事をスクロールしていくと思いがけないスソの理由が書かれていました。

スソは道糸が足りなかった人、平均30~40。

おい、なんだこれ。
この船宿は大型船を出しているの人気船宿で、予備のリールぐらい船に積んであったと思われます。そうでなくても船長が常連に言えばリールぐらい貸してもらえそうです。

そこで考えられるのは、きっとスソの方は言い出せなかったのではないでしょうか。冬場のヤリイカは時に水深200より深い場所を攻めます。この方のリールにはきっと高切れかなにかで180mぐらいしか巻いていなかったのでしょう。ヤリイカは底付近がタナです。
船長に「ハイ、やってください。底から10mぐらい誘ってみてね」
といわれて道具を落としても、底まで届かない。そのときの絶望感は想像に難くありません。
しかたないので、道糸が届く範囲でいるはずのないイカを誘ってみる。もちろん乗らない。

次の流しも。
その次の流しも。
そのまた次の流しも・・・・

「ハイ、今日はこれで上がっていきます」

という船長の声を聞くまで。
周りの人は次々にイカを取り込んでいるのに自分だけ道具がタナに届かない、という無念さは察するに余りあります。

沖上がりのとき、船長に「何杯釣った?」と聞かれて「坊主、道糸が足りなかった」と答えたのでしょうか。

あまりにも切ない話でした。