ゲド戦記は地味と思っていましたが、
それを上回る地味さでした。
□冒頭のアレンの父親殺しのシーン
翻訳者の清水真砂子さん曰く、原作にはない
そうで、吾郎監督に父宮崎駿を越えたいという
思いがあったのかもしれません。
でも、これ誰でも言いそうなのでホントは
書きたくないんですが。
□命を大切にしない奴なんて大嫌いだ(BYテルー)
ゲド戦記で、ゲドは「均衡」を説きます。
この世界の全ては「均衡」でなりたっており
それを、どう保ち崩さないかと。
そして、またアレンに相手を支配することの
できる「真の名」についても諭します。
テルーは「命」の大切さを説きます。
「そうして命はずっと続いていくんだよ」
アレンは、自分の心が不安でいっぱいで、
それを「影」が食らい実体化し自分を
追いかけてきます。
父親を刺しゲドをも刺しかけたアレンですが
、おそらくゲドやテルーの影響を受け、
「闇と共にあるべきもの、それは光り」
と不安や、それに伴う恐怖を受け入れます。
ですが、これからもゲドの旅は続くわけですし
アレンやテルーの旅も続くわけですが、
それでも吾郎監督が「均衡」「命」「光と闇」
「影」というそれぞれのテーマをうまく描けたか
わかりませんし、最後のクモの城でうまく集約した
ようにも見えます。
□ゲド戦記はヤクザ映画
(注 本気にしないでください)
要するにゲド戦記は昔、極道で外道すぎて
ゲド(菅原文太)と呼ばれた男が立ち直って
大賢人と呼ばれるようになり昔なじみの女
テナー(風吹ジュン)の元へ行く途中、
エンラッドという組の組長で人格者でもある
オヤジを殺害して妖刀を奪って逃走している
アレンを見つけ昔の極道だった自分と重ね
合わせてしまい、つい世話をしながら、
アレンは奴隷売買をなりわいとしている
非道なクモ組のしたっぱウサギに追われて
いる少女テルーを助ける。
その後テナーの家でアレンとテル-は
再会、四人でしばらく慎ましく暮らすが
非道なクモ組はテナーをさらい、ゲドは
殴り込みをするも囚われる。
アレンはテル-が運んでくれた妖刀を
抜いて処刑されようとしていたテナーと
ゲドを助けるため刑場破りをする。
アレンの運命はいかに?
□千と千尋
前から思っていましたが、千~とゲド戦記には
カオナシが影のようだ、とか本当の名前とか
共通点が多いです。
宮崎駿自身も影響があるのは認めていますが
カオナシなど偶然の産物で意識して作ったのでは
ないそうです。
関係ないのですが、「もののけ姫」は最初
宮崎駿は「アシタカせっ記」とタイトルを
考えていたそうです。
もののけ姫というタイトルは鈴木敏夫が
考えたものだそうです。
「千と千尋の神隠し」では鈴木敏夫は、
最初「千の神隠し」でいこうとしたそうです。
どっちも語呂が悪いので変えて良かったですねw
□おすぎの「ここに萌えなさい」
アレンはキレキャラみたいに目つきが悪く
なる、と思ったら不安な顔つきをしたりする
のは現代っ子ぽくて良いです。
ウサギたちをぶっとばすシーンと
「ボクは不安でいっぱいなんだ」とテルー
に告白する落差に萌え。
テルーは羊の世話をしていて笑っていた
、と思ったらアレンを見るなりツンw
ベッドで寝ているアレンを見て再会しても
ツンw
テルー髪がほどけたとこや、杭にしばられても
ひっこぬくシーンに萌え。
「そうして命はずっと続いていくんだよ」
で抱き合うアレンとテル-。
うん、やっぱりジュブナイルでは少年少女は
可愛く抱き合ってこそですね。
テナーはお母さんって感じです。
ウサギたちを追い払ったりおばちゃんズに陰口
言われても頼まれた薬をあげたり、畑仕事を
してるゲドとアレンにサンドイッチを作る
シーンに萌えてください。
こういうシーンでサンドイッチが食べたくなる
のがジブリアニメです。
ゲドはアレンの父親代わりです。ゲドは
今でこそ大賢人と言われていますが昔はプライド
が高くいろいろ苦労しました。
今のアレンは昔の自分を見るようなもの
なのでしょう。
迷うアレンを、自分を刺そうとしたアレンを
諭し導きます。
□他の気に入っているシーン
アレンが城の階段を登るシーン
二人組みのおばちゃんの会話のシーン
ホートタウンでゲドがまがいもののを見破るシーン
ハジア売り、奴隷売買のシーン
テルーが羊を世話しているシーン
アレンに棒をつきつけるシーン
エンラッドの剣を持って走るテルーのシーン
二度繰り返される道の石碑のシーン
などが印象に残っています。
それを上回る地味さでした。
□冒頭のアレンの父親殺しのシーン
翻訳者の清水真砂子さん曰く、原作にはない
そうで、吾郎監督に父宮崎駿を越えたいという
思いがあったのかもしれません。
でも、これ誰でも言いそうなのでホントは
書きたくないんですが。
□命を大切にしない奴なんて大嫌いだ(BYテルー)
ゲド戦記で、ゲドは「均衡」を説きます。
この世界の全ては「均衡」でなりたっており
それを、どう保ち崩さないかと。
そして、またアレンに相手を支配することの
できる「真の名」についても諭します。
テルーは「命」の大切さを説きます。
「そうして命はずっと続いていくんだよ」
アレンは、自分の心が不安でいっぱいで、
それを「影」が食らい実体化し自分を
追いかけてきます。
父親を刺しゲドをも刺しかけたアレンですが
、おそらくゲドやテルーの影響を受け、
「闇と共にあるべきもの、それは光り」
と不安や、それに伴う恐怖を受け入れます。
ですが、これからもゲドの旅は続くわけですし
アレンやテルーの旅も続くわけですが、
それでも吾郎監督が「均衡」「命」「光と闇」
「影」というそれぞれのテーマをうまく描けたか
わかりませんし、最後のクモの城でうまく集約した
ようにも見えます。
□ゲド戦記はヤクザ映画
(注 本気にしないでください)
要するにゲド戦記は昔、極道で外道すぎて
ゲド(菅原文太)と呼ばれた男が立ち直って
大賢人と呼ばれるようになり昔なじみの女
テナー(風吹ジュン)の元へ行く途中、
エンラッドという組の組長で人格者でもある
オヤジを殺害して妖刀を奪って逃走している
アレンを見つけ昔の極道だった自分と重ね
合わせてしまい、つい世話をしながら、
アレンは奴隷売買をなりわいとしている
非道なクモ組のしたっぱウサギに追われて
いる少女テルーを助ける。
その後テナーの家でアレンとテル-は
再会、四人でしばらく慎ましく暮らすが
非道なクモ組はテナーをさらい、ゲドは
殴り込みをするも囚われる。
アレンはテル-が運んでくれた妖刀を
抜いて処刑されようとしていたテナーと
ゲドを助けるため刑場破りをする。
アレンの運命はいかに?
□千と千尋
前から思っていましたが、千~とゲド戦記には
カオナシが影のようだ、とか本当の名前とか
共通点が多いです。
宮崎駿自身も影響があるのは認めていますが
カオナシなど偶然の産物で意識して作ったのでは
ないそうです。
関係ないのですが、「もののけ姫」は最初
宮崎駿は「アシタカせっ記」とタイトルを
考えていたそうです。
もののけ姫というタイトルは鈴木敏夫が
考えたものだそうです。
「千と千尋の神隠し」では鈴木敏夫は、
最初「千の神隠し」でいこうとしたそうです。
どっちも語呂が悪いので変えて良かったですねw
□おすぎの「ここに萌えなさい」
アレンはキレキャラみたいに目つきが悪く
なる、と思ったら不安な顔つきをしたりする
のは現代っ子ぽくて良いです。
ウサギたちをぶっとばすシーンと
「ボクは不安でいっぱいなんだ」とテルー
に告白する落差に萌え。
テルーは羊の世話をしていて笑っていた
、と思ったらアレンを見るなりツンw
ベッドで寝ているアレンを見て再会しても
ツンw
テルー髪がほどけたとこや、杭にしばられても
ひっこぬくシーンに萌え。
「そうして命はずっと続いていくんだよ」
で抱き合うアレンとテル-。
うん、やっぱりジュブナイルでは少年少女は
可愛く抱き合ってこそですね。
テナーはお母さんって感じです。
ウサギたちを追い払ったりおばちゃんズに陰口
言われても頼まれた薬をあげたり、畑仕事を
してるゲドとアレンにサンドイッチを作る
シーンに萌えてください。
こういうシーンでサンドイッチが食べたくなる
のがジブリアニメです。
ゲドはアレンの父親代わりです。ゲドは
今でこそ大賢人と言われていますが昔はプライド
が高くいろいろ苦労しました。
今のアレンは昔の自分を見るようなもの
なのでしょう。
迷うアレンを、自分を刺そうとしたアレンを
諭し導きます。
□他の気に入っているシーン
アレンが城の階段を登るシーン
二人組みのおばちゃんの会話のシーン
ホートタウンでゲドがまがいもののを見破るシーン
ハジア売り、奴隷売買のシーン
テルーが羊を世話しているシーン
アレンに棒をつきつけるシーン
エンラッドの剣を持って走るテルーのシーン
二度繰り返される道の石碑のシーン
などが印象に残っています。