まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

測定の反作用

2009-09-07 18:16:47 | 生老病死の倫理学
ハイゼンベルクの不確定性原理というのは、
量子力学レベルにおいて観測対象を正確に測定するためには、
光を当てて見なくてはならないのだが、
そのレベルでは光を当てることによって観測対象が影響を受けてしまうので、
正確な測定は不可能である、
ということを意味すると思っていました。
いつものウィキペディアで調べてみたところ、
その理解はどうやら間違っていたようなのですが、
上記のようなことが起こるというのは確かなようです。
これを 「測定の反作用」 の問題と呼ぶようです。

たぶんこの量子力学レベルの話とは正確に言えばまったく無関係なんでしょうが、
文系の私の頭の中ではこれと同じくくりの問題として分類されている問題があります。
それは、「健康診断の侵襲性」 と私が名づけている問題です。
その人の健康状態を正確に知るためには様々な検査を行わなければならないのですが、
その検査方法自体が侵襲的である (身体を害する) ため、
健康診断を行うことによって不健康になってしまう、という問題です。
一番わかりやすいのはレントゲンで、
胸部の健康状態を知るために、健康な人の胸に放射線を照射して、
発ガンの可能性を高めてしまうというようなことが行われているわけです。

さて、なんでこんな小難しい話を始めたかというと、
今日は年に一度の健康診断の日だったのです。
昔は、私たちのあいだで健康診断はカーニバルと化していて、
健康診断の前1週間くらいは酒をぬき健康的な生活を心がけ、
健康診断が終わったその日は打ち上げで飲みに行き、
健康診断の結果が出たら、またみんなで結果通知書を持ち寄って飲みに行き、
誰の数値が一番よかったとか悪かったとか、
「やーいやーい要精検野郎!」 とかいって盛り上がるという、
アホな行事を繰り返しておりました。
しかし、ここ数年は酒をぬいて健康診断に備えるということが難しくなっており、
(以前より健康診断の実施時期がどんどん早まっているため、
 夏の暑い盛りにビールをぬくのが困難であるとか、
 帰省して暴飲暴食してきてから時間を置かずに健診に突入してしまうとか)
また、検診結果がみんなシャレにならなくなってきているため、
以前のような楽しい行事にはならなくなってしまいました。
しかも今日は、それ以上に重大な問題が発生しているので、
とてもじゃないけど飲みに行く気分にはなれません。

というのも、健診の日って朝から何も食べられないじゃないですか。
それはいつものことなのでどうってことないと思っていたんですが、
昨日の夕食が早過ぎたのでしょうか、
大学に着いた頃にはお腹が空いて空いてたまらなくなっていたんです。
で、受付で 「胃ガン検診はどうなさいますか」 と聞かれたとき、
つい、ああバリウムが飲める、と思って 「お願いします」 と答えてしまったんです。
何年か前に胃ガン検診したことがあって、
やってる最中や、終わったあとの苦しさは知っているはずだったんですが、
空腹に負けてしまったんですね。
最近のバリウムは甘くて美味しいし、お腹にたまるのも知っていたので、
朝食代わりにバリウムを選択してしまいました。

そんな一時の欲望に負けてしまうなんて、私がアホでした。
発泡剤とバリウムでお腹が満たされて満足できたのはほんの一瞬のことで、
右向け、左向け、1回転しろ、横になれだの、オモチャのように弄ばれ、
そして、下剤を飲んだにもかかわらず、バリウムはお腹の中に居座り続け、
今もまだいて、腹をドーンと重くし続けています。
このまま排泄されないで、胃や腸の中で固まってしまったら、
私はどうなってしまうんでしょうか?
あれほど快食快便だった私が、今後はいくら食事をしてももう体外に排泄できずに、
これから先の一生を 「ウ○コ内蔵人間」 として生きていかなくてはならないのでしょうか?
だから健康診断は侵襲的だと言ったのです。
健康診断のおかげで私は不健康な 「ウ○コ内蔵人間」 になってしまうのです。
胃ガンが見つかるよりもよっぽどかわいそうじゃありませんか。
「測定の反作用」 おそるべしっ
ううっ、お腹が重い。
とても飲みに行く気にはなれない。
来年は怒られてもいいから、朝食を食べてから健診に行くことにしようっと。