福山雅治氏にはカラオケでたいへんお世話になっているのですが、
もともとファンだったわけではないので、
どうしても新曲チェックなどが後手後手にまわりがちです。
このあいだスナックに行って福山の曲を検索していたら、
知らない曲がたくさんあって、「なんだこれは?」 と思ったら、
今年の6月にニューアルバム 『残響』 がリリースされていたんですね。
お店の女の子に新しいの歌ってよとせがまれましたが、
まったくわからず悔しい思いをしました。
そこで翌日にはさっそく購入して、カラオケ向きの曲を探し練習を始めました。
中でも 「幸福論」 という曲があって、これが歌詞的にもメロディ的にもリズム的にも
とてもいい曲じゃないですか。
福山雅治氏の幸福論なんて、倫理学的にもそうとう興味があります。
残念ながらこの歌は、全体としては客観的な幸福論にはなっておらず、
あくまでも、曲の最後にあるように 「僕の幸福論」 にとどまっています。
君が今日も笑ってくれたら
君が今日もよろこぶなら
それが僕の幸福論
ということだそうです。
しかしながら、歌詞の前半にはけっこう福山氏の客観的な幸福論も散見されます。
生きてくためのメニューには
いくばくかの幸福感って
人にはやっぱり必要なんです
それは人類60億もの
年齢、性格、体質にそって
主観的であるべきです
ここらあたりは強調点はちょっとズレていますが、私の幸福論と重なり合うところです。
幸福とは幸福感であり、あくまでも主観的なものにすぎない、
というのは私がずっとこのブログの中で論じ続けているポイントです。
さらに福山氏は次のように続けます。
「幸せ」 を難しく考えずに
語り過ぎずに
未来永劫変わらないモノと
期待し過ぎたりしないで
そのつど自然と降りてくる
この感じをつかまえて
それで日々を繋いでいくんです
it will be alright
この行(くだり)はもう他人様が書いた詩とはとても思えません。
さすがは福山サマです。
私が言いたかったことを全部言ってくれています。
ぼくがブログでわけのわからないことをグダグダ書き続けるより、
この曲を一曲歌ったほうがよっぽどいろいろ伝わるじゃないですか。
これからは片っ端からスナックをまわって、
ぼくの (=福山サマの) 幸福論を説いて回ることにしよう
もともとファンだったわけではないので、
どうしても新曲チェックなどが後手後手にまわりがちです。
このあいだスナックに行って福山の曲を検索していたら、
知らない曲がたくさんあって、「なんだこれは?」 と思ったら、
今年の6月にニューアルバム 『残響』 がリリースされていたんですね。
お店の女の子に新しいの歌ってよとせがまれましたが、
まったくわからず悔しい思いをしました。
そこで翌日にはさっそく購入して、カラオケ向きの曲を探し練習を始めました。
中でも 「幸福論」 という曲があって、これが歌詞的にもメロディ的にもリズム的にも
とてもいい曲じゃないですか。
福山雅治氏の幸福論なんて、倫理学的にもそうとう興味があります。
残念ながらこの歌は、全体としては客観的な幸福論にはなっておらず、
あくまでも、曲の最後にあるように 「僕の幸福論」 にとどまっています。
君が今日も笑ってくれたら
君が今日もよろこぶなら
それが僕の幸福論
ということだそうです。
しかしながら、歌詞の前半にはけっこう福山氏の客観的な幸福論も散見されます。
生きてくためのメニューには
いくばくかの幸福感って
人にはやっぱり必要なんです
それは人類60億もの
年齢、性格、体質にそって
主観的であるべきです
ここらあたりは強調点はちょっとズレていますが、私の幸福論と重なり合うところです。
幸福とは幸福感であり、あくまでも主観的なものにすぎない、
というのは私がずっとこのブログの中で論じ続けているポイントです。
さらに福山氏は次のように続けます。
「幸せ」 を難しく考えずに
語り過ぎずに
未来永劫変わらないモノと
期待し過ぎたりしないで
そのつど自然と降りてくる
この感じをつかまえて
それで日々を繋いでいくんです
it will be alright
この行(くだり)はもう他人様が書いた詩とはとても思えません。
さすがは福山サマです。
私が言いたかったことを全部言ってくれています。
ぼくがブログでわけのわからないことをグダグダ書き続けるより、
この曲を一曲歌ったほうがよっぽどいろいろ伝わるじゃないですか。
これからは片っ端からスナックをまわって、
ぼくの (=福山サマの) 幸福論を説いて回ることにしよう
