まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

フリーダム・ライターズ

2009-09-09 13:02:09 | 教育のエチカ
『フリーダムライターズ』というのは映画のタイトルです。
ライダー rider ではありません、ライター writer です。
非暴力ワークショップの仲間から紹介されて一昨年見に行きました。

ロス暴動直後の、人種対立で一触即発のクラスに赴任してきた、
新米教師 (ヒラリー・スワンク演じるエリン) とその生徒たちのお話で、
実話に基づいています。
どんなに暴力的な状況の中でも、
暴力を用いずに現実を変えていくことができるのだという、希望に満ちた物語です。
この映画のキーワードは"Change"です。
オバマ氏が大統領選で用いて一躍政治的スローガンとして有名になりましたが、
"Change"って「教育」の別名でもありますね。
この映画は、まだ私たちがオバマ氏の名前を聞いたこともなかったような、
ブッシュ政権下で作られました。

基本の物語は先生と生徒の関係を描いて進んでいきます。
舞台は1994年のロサンジェルスです。
1994年といえば私が福島大学に赴任した年です。
その頃にアメリカの高校で、
クラスのほぼ全員が自分の友だちを殺されたことがあり、
自分も卒業まで生きていられるかどうかわからない
と本気で悩んでいるなんていう状況が現実にあっただなんて、ちょっと驚きです。
そんなクラスに赴任してきたエリンは、
全員に、自分の悩みや望みなどをノートに書き留めさせるという試みを始め、
それを通じて少しずつ、生徒たちが心を開き、
そして、対立を乗り越えて共生の道を歩み始めるという物語です。

基本のストーリーが十分面白いので、
教員志望の人にもそうでない人にもぜひ見てもらいたいですが、
中心的に描かれている教師と生徒の関係以外の3つの関係も面白かったので、
そちらにも触れておきます。
ここから先は、若干批判的な論評になりますが、
あくまでも私が気になったことというだけで、
この映画 (やそれが基づく実話) の価値を低めるものではないので、
その点はご理解ください。

1つめはエリンと夫との関係。
夫のスコットにはものすごーくよく感情移入できました。
自分の妻が天職を見つけてそれにのめり込んでいくのを
最初のうちは心から応援しているんだけど、
そのうち2人の時間をもてなくなり、
教師の仕事のためにバイトまで始めてしまう妻を見て、
孤独感を感じてしまうスコット。
しかも妻は、建築家という夢をもっていた頃の自分のことは愛してくれていたけど、
その夢をあきらめて就職した自分をただの仮の姿としか認めてくれず、
夢に向かって変化していくことを暗に強要してくる。
そりゃあうまくいきっこないよなあ。
そんなんで「愛してる」って言われてもなあ。
あれだけ多様な人種の生徒たちを理解しようとしたエリンが、
自分の夫のことを理解できなかったし、
しようともしなかったっていうところがこの実話の皮肉なところだと思いました。

2番目に父親との関係。
父はかつて公民権運動の活動家でした。
彼の世代の働きにより表向き人種差別が撤廃され、
「共学化」が進んだわけですが、
その結果としてできたのは、人種対立の巣窟と化した荒れた学校だったわけです。
そこに自分の娘が赴任したと聞いて、
「教師なんてやめろ」 とか 「早く他の学校に移れ」 と素直に言えてしまうところが、
とってもアメリカ的だなあと思いました。
理想 (自分が唱えた理念) と現実を平気で使い分けられてしまうのね。
しかし娘の努力を見ていて彼も少しずつ娘のやっていることを理解していきます。
彼が最後にエリンにかけることばにはダーダー泣いてしまいました。
父親役を演じたスコット・グレンは私の大好きな俳優さんです。
本作でも見事な名脇役ぶりを披露してくれました。

3番目に学校の同僚たちとの関係。
今、福島大学では (というか福大に限らず教員養成・教員研修の現場ではどこでも)
「教師たちの同僚性」 を育んでいこうと考えています。
教師はどうしても1人ですべてを抱え込みがちですが、
そうではなくチームとして生徒たちに当たるのでなければいけない、
そして教師どうし互いに学び合い助け合いながら成長していこう!
というのが 「教師の同僚性」 です。
それがエリンの学校にはまったくありません。
エリンは完全に孤軍奮闘です。
教科書すら、どうせ彼らはなくすか破損してしまうだろうからと言って、
配布させてもらえません。
そのためにエリンは↑のバイトまですることになるわけですが、
この状況で普通の人はがんばれないよね。
エリンのようなスーパーティーチャーは1人で何とかしてしまったけれど、
世の先生全員にこれを求めるのはムリがあるでしょう。
物語の最後は、自分のクラスの子たちを卒業まで面倒見られるか否か
というところに話の焦点がいくわけですが、
よく考えるとムチャなお話です。
このときのこの状況ではそういう話の流れになるのは理解できますが、
原則的に、1人の教師が特定の生徒たちをずっと抱え込むという制度には私は反対です。

しかも、この映画の中ではエリンが担当する英語以外の授業シーンがまったく出てきません。
1教科だけで教育が成立するはずはないのになあと思いました。
見ている最中はもう感動で泣きまくっていましたが、
あとから冷静に思い出してみると、
他の先生たちと協力を取り付けていく方向ではなくて、
溝を深める方向へ方向へと突き進んでいっていたなあと、
現実のエリン先生の問題か、映画化上の脚色の問題かはわかりませんが、
いろいろと疑問もわいてきます。
なお、エリンに敵対する英語科長の先生を演じたのは、
ハリー・ポッター第5作でドローレス・アンブリッジ先生を演じたイメルダ・スタウトン。
このキャストや演出もいかがなものか?
アンブリッジ先生と同じくらいか、
それ以上に意地悪で腹黒い教師として描かれていましたが、
現実ってハリポタみたいにこんなにくっきり敵と味方に分かれたりはしないでしょう。
教師の仕事において、そして教師の同僚性を考える上でも、
教師どうしの 「嫉妬」 ってけっこう重要なテーマだと思うんですが、
こんなマンガチックな描き方をされたんじゃ、
その大事なテーマが浮かび上がってくることはありませんでした。

とまあ、気になった点も書かせていただきましたが、
そういった点も含めて、教育のこと、グローバル・エシックスのことを考える
きっかけになるとてもいい映画だということは、
最後にもう一度強調しておきましょう。
それにしてもやっぱり 「書く」 というのは大事なことなんだなあ。