まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

教職につきものの危険性 (その4)

2009-09-22 09:41:50 | 教育のエチカ
教職につきものの危険性(その4)は、今まで論じてきたことと関連していますが、
その中でも最も根本的な問題です。
それは教職というのが、子ども相手の仕事である、ということです。
教員志望者はよく 「私は子どもが大好きです」 とか目をキラキラさせて言ったりしますが、
そういうことを言う人ほど、教職につきもののこの危険性に気がついていない人が多い、
というのが、私のこれまでの経験から導き出された結論です。

世のほとんど大部分の仕事は大人相手の仕事です。
教師ももちろん、保護者や地域の人々など大人の相手をすることもありますが、
90%以上は子どもに向き合っています。
子どもは大人に比べてどういう特徴があるでしょうか。

・肉体的に力が弱い
・思考力が弱い
・人生経験が少ない
・知識が少ない
・自分にとって何が最善かをわかっていない
・言われたことを信じやすい
・成長過程なので影響を大きく受ける

いずれも高校生くらいになると逆転する可能性も出てきますが、
肉体面以外はだいたいどれも大学生くらいにまで当てはまると言えるでしょう。
こういう子ども相手の仕事だからこそ、
教育という仕事はパターナリスティックにならざるをえないのですが、
先にも論じたように、教育におけるパターナリズムは、
子ども相手であるがゆえに、過剰になったり、歪んでしまったりしやすいのです。
教師と子どものあいだには圧倒的な力の差が存しているので、
そこには支配―被支配の関係を打ち立てやすいのです。

そのうち別のカテゴリーを立ち上げてまた論じようかと思っていますが、
教師が生徒と肉体関係をもってしまうという不祥事が数多く報告されていますが、
それもこの問題から派生してくるものだと考えています。
肉体的な力の差を利用して暴力的に行うのであれ、
それとも、人生経験や思考力の差を利用して合意を作り上げて行うのであれ、
いずれも支配―被支配の関係によるものと言えるでしょう。

ここまで極端な例に走らずとも、
教育の中で、相手が子どもであるがゆえに可能となってしまうことは、
いくらでも見つけ出すことができるでしょう。
「子どもってカワイイ」 なんてキャピキャピしてる場合ではありません。
子ども相手の仕事であるがゆえの危険性を察知し、
どう自分に歯止めをかけたらいいかつねに考えておいてください。
何よりも大事なのは、たとえ子どもであっても一人の人間として尊重し、
つねに尊敬の念をもって接することです。
「カワイイ」 という感情の中には尊敬の念は含まれていないということを、
肝に銘じておく必要があるでしょう。