おはようございます^^
朝から尾籠(びろう)な話です^^・・ん? ビロウ…て何 ? 答えはこのブログをみて下さい^^
昨日の朝でした、私の友人が急にBを催しました。・・・これってウ✖チ 関西では ウ✖コ と言います^^
それでいつも行ってるコンビニに駆け込み なんとか間に合い やれやれ さて、ここを出たら…と
壁にあるシャワーのボタンを押しました。 ・・・? あれ、出やへんがなぁ と腰を浮かせて便器の中を
覗くと 毒々しいようなウ✖コが うねうねととぐろを巻いています。まぁそれはそれで当然ですが その先の
おしりを温水で洗うシャワーがちっとも出なくって はてどうしょう…困ったな となりました。この私の友人は
私に近い年齢ですから 現在の温水シャワーはもちろん便座型のシャワーの出なかったタイプもその前のしゃがむ
便器やもっと以前の木の板の上からしゃがんで用を足す旧式といいますか、トイレの原型まで知ってる筈なのです。
確か明治時代に日本人がアメリカのホテルに泊まって 朝に用を足そうとトイレに入ったら 便器が見当たらないのです。
今から百年以上も昔のはなしですから日本人はいつも使っているしゃがんでする便器を探しました。ホテルのトイレは浴室と
一緒になっていまして今でいうユニットタイプ、壁はタイル張りで床もピカピカに光っていたといいます。
その中でお湯舟は少々浅いけどゆったりとした長方形型で身体を長々と延ばせてそりゃぁ気持ちがよかったのですが
肝心の用を足す便器が見当たりません。 はて・・と思って気が付いたのが昨夜寝しなに(関西弁)顔を洗った真っ白の陶器が
ひょっとして・・あの時長身のアメリカ人がこんな低い洗面器で顔を洗うのかなぁ?とあまり深く考えずに顔をざぶざぶ洗ったのですが
うがいをしなかったのがせめてもの救いだったようです。
それから時代が過ぎて 日本にユニット式のバストイレの一体型になったものが使われたのは昭和の終わりからでしょうか。
私が小学校の時は木の床に便器が付いていて下を覗けば…(食事中でしたらご勘弁)
或る時学校で使う鉛筆入れがいくら探しても出てこなかったことがありました。さっきまであったのに…と私は泣きべそをかいていましたが
父が さっき便所に行ったやろ と聞いてきました、 うん その用足しをするまではあったのか と念を押されて はっきり確信はなかった
のですが 曖昧に返事をすると 父はサーと立っていきました。暫くして これやろ と私の前に出したのが失った鉛筆入れでした。
あらら どこにあったんや と訊く母に ひょっとして便所で落としたんちゃうか とさがしたら 案の定あったわ、父はちょっと笑って
仕事に行きました。私は母から小言を言われながらも出てきた鉛筆入れをカバンに詰めて走って学校に行ったのです。
この時代(昭和40年代)以前は人糞が畑の肥料になっていました。農家だった家の主人はみな肥え持ち、肥え片木などと言い方は地方によって
違ったようですが自分の便所の人糞を桶に汲んで畑の肥料として使いました。都会では肥え汲み屋がきてわざわざお金を払って人糞を
汲んで持って帰りました。まぁいまでは想像もつかない話でしょうけど、ほんの半世紀前まではごく当たり前の風景でした。
そんな時代を知っている友人は 温水シャワーが出ないのなら 備えつ付けのトイレットペーパーを使えばよかっただけの話ですが
彼は何を思ったのか緊急時に使うボタンを押してしまいました。ちょうど朝の仕事を始める時間でしたから 緊急のランプが点灯して
店内は騒然となったそうで、そうなるとかえって開き直れるものでしょうか、彼は 水が出なかったので助けを求めた と言うや
ごめんなさい と頭を下げて逃げるように去ったのでした。 あ~恥ずかしかった と苦笑いしながら話す彼に もうそのコンビニには
行けないやろう と私が冷やかすと いや、あれからも普通に行ってるよ と涼しい顔です^^
昔流を思い出すと厚顔無恥になれるんですかね(笑)