寝転がって気ままに想う事

 世の中ってこんなもんです・・
面白可笑しくお喋りをしましょうか ^^

焼き餅・・

2020年06月08日 07時11分50秒 | 笑い

  おはようございます^^

この土日はもカンカン照りになりました。暑いなぁ…というのが チョットぎこちなくて 今朝は肌寒いほどでもなかったのですが、少し冷たい風が通り抜てたようで、思わず

あ~サムッ とつぶやいてしまい 違うやん…と苦笑いしてしまいました。もちろん 近くには誰も居ませんでしたが、もし 口の悪い同僚なんかがいたら はぁ、高村さん

今なんて言った? あんた、この初夏の時分に大丈夫か、と顔を見られるところでした^^このように今頃でも冬の口ぐせが身体に染みついているのは私だけなんでしょうか^^

まぁ通常なら朝の早いのが当たり前の稼業ですから 寒さには辛抱が出来ています。ただその分寒いだとか冷たいなぁなどの愚痴はかなり吐いているでしょうか。そうすることで

寒さに対する耐久のはけ口になっているようで、 男なら愚痴ったり泣き言なんか口にするな! これが昭和の健さんや文太兄い(高倉健や菅原文太)の全盛期でしたらアタリキシャリキケツの穴

ブリキ(笑)・・(当たり前の関西の方言)だったでしょうか。同じ年代が寄ると昔は…という懐かしさを思い出す話になりますが、同じ年代でも都会と田舎では生活様式などが違っていたようで、

相手の話を聞いていると へぇ~と思うことがあります。例えば おやつ ですが、町に住んでいた子供は、親からお金をもらって商店街の駄菓子屋でお菓子を買っていたんですね。

これを最初は聞き流していましたが よく考えてみますと、小学生の高学年には近くの駄菓子屋に行った記憶がありましたが、低学年の頃はあんまり記憶がありません、

多分忘れてしまってるんでしょうが、それでも微かな記憶に 火鉢に網を置いたその上で 焼き餅を焼いた記憶があります。この焼き餅はもちろん自家製でして、お歳暮なんかで貰うような

上等でおいしいものではありません。家で獲れたもち米を 挽いて粉にしたものを水で練って平たくして日陰で干したいわば 保存食でした。今の焼き餅なんかを見てますと、途中までは

製法自体そんなに変わらないんじゃぁないかな…と思いますが その先の味付けが全然違うようです。昔の焼き餅は当たり前のようですがもち米の味でした。たまに中に黒豆が

入っていたりしますと、それはもう有難いものに当たったような幸福な気分になったもので、でも 食べてみますとやっぱりもち米の味でした。ん…黒豆の味はせん(しな)かったの?と思われる

でしょうが、平たい焼き餅のほんの片隅に食い込むような形の黒豆に味は全くありませんでした。この黒豆はたぶんちょっとした祖母のサービスと言いますか、もち米だけを食べても飽きてくるん

じゃぁないかと、それに同じ歯ごたえより(黒豆の部分は堅かった)違ったのが混じってるほうが味わいや見た目からも楽しめたんじゃぁないか…と 今では懐かしく思い返してみますが今思うと

黒豆が入っていたことはあっても 赤い小豆(あずき)やもち米と同色の大豆、これは入ってなかったんじゃぁないでしょうか。なぜだろう…今となって訊こうにも祖母は遠に逝去していますし

私の想像では 大豆は焼き餅に入れてもわかりにくかった…小豆はたぶん下茹でしても柔らかくならなかったからか… 若しくは それぞれの豆の値段の違いでしょうか。当時の農家の

現金収入は お米でした。他は自給自足の野菜栽培でしたが、豆類だけは売買出来たようでした。価格は小豆、大豆、黒豆の順だったようで、小豆は赤飯やお菓子の餡用として高価で取引され

ていました。確か戦後に赤いダイヤという小豆を題材にした小説がありました。大豆は豆腐、白あんの材料としてなくてはならないものでしたし、黒豆はやはりお菓子類に使われていました

がやっぱり 小豆が一番の需要があったみたいですが栽培の難しさなどから収穫量が限られていたため高く取引をされていたようで、たとえ一粒でもおろそかにできなかった

のではないでしょうか…この自家製の焼き餅は薄く平べったりでした。それを火鉢の熾(お)き火に翳(かざ)して焼くとこんがりとなって中にあった空気が膨張して膨らんできます。

この焼き餅には食べ頃がありましてあまり焼くと焦げて帰って堅くなってしまいますし、早いと生しいままですし、程よい加減を見極めつつ全体に満遍なく火があたるように…となるとこれは

これで結構 忍耐と根気と見極めがいるようですね。私らの家に置いてあった火鉢とは、手を炙る小型ではなくて子供が跨げるくらいの大きさで焼き餅を炙りながら ついでに暖を採りました。

ですからちょっと油断をすると跨いでいたズボンが焦げてしまうことがありましたね^^まぁ腹ペコで学校から帰ってきたらそんな調子で焼いた餅…焼き餅と言いましたが、いわゆる 自家製の煎

餅と焼き餅の間みたいなものをかじって腹ごしらえをして遊びに行きました。これが12月から3月くらいまでだったのでしょうか…ほかの季節にはそれぞれ天然の樹の実やらが採れましたから^^

ところで今、コロナ禍の影響で自宅で過ごすようになって家で料理を作るのが流行っている…?ニュースなんかで聞きましたけれど、当時の食事とは絶対的に自宅での食事でした。

時代変われば…ほんと当時とは雲泥の差ですね。

まぁそれについてはいずれまた^^

 

 

 

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