寝転がって気ままに想う事

 世の中ってこんなもんです・・
面白可笑しくお喋りをしましょうか ^^

五月病・・

2021年04月19日 12時01分40秒 | 笑い

  おはようございます^^

爽やかな朝になりました。五月晴れ と言いたいところですが まだ四月…今年は桜の開花が例年になく

早かった通り何もかもが早くなっているようです。 この頃の気候になると 五月病 を思い出してしまいます。

 いえ、私がそれに罹ったのでなくて まだ四十代始めだったでしょうか、バリバリの営業マンとして肩の風を切って

闊歩していた頃の話しです。 

 小さな繊維会社の営業だった私は役職なんて名ばかりのカチョーさんになりました。無論部下なんていなくて受注から見積もり

入荷に出荷、出張・・一人何役もこなしていました。まぁそれは私だけに限ったわけではなくて営業に携わっていた十人ほどの

営業マンすべてが同じような立場でした。ひとりで何役もこなすのだからさぞかし ガッポリ稼いでいたでしょう^^ 

と思われる方いらっしゃるでしょう。

 しかし十年ほど後に 倒産の憂き目に遭うのですが、この当時すでに利益を上げることに汲々としていました。

 理由は海外製品の氾濫で市場価格の下落、販売先の減少…要は繊維製品を扱う業界の構造がコロッと変わってしまったのです。

 私のいた繊維会社は小さいながらも自社生産をおこなっていた いわゆる加工業 よく言えばメーカーでした。

 自社製品は年々売れなくなるし替わりに海外の製品を扱うことで売り上げの減少をまかなうようにしましたが市場の販売先が

変わっていく中で方向を転換するだけの資金に余裕のない弱小会社は、じり貧を免れませんでした。

 当時、そのような背景の中で将来の先行きに不安を思いながらも過去に蓄積をしてきた資産を時々処分して一見安定した経営に

みえていたのです。それに歴史のある地元では名門といわれた会社が まさか…と今日みたいなお天気気分でいたのでは笑止千万、

何が営業の猛者(モサ)よ と嗤われてしまうでしょう^^

 そんな頃、つまり 営業のカチョーと名ばかりでもなってみれば気分の良いものでも やる仕事は同じ…仕事は同じでも

ボーナスは減っちゃった と笑えない話がありまして、それは小さいながら会社には労働組合がありました。繊維関係の業界でし

たからゼンセン同盟(確か全国繊維同盟どうか…)ですね^^その組合員の対象が係長まで というのが会社と労働組合の

取り決めで課長からは 会社の経営に携わってもらうから今までの労働者の立場ではなく経営者の一員として広い視野を以って

会社の成長に寄与して更には社会への感謝と地域貢献を以って社会人として一層の切磋琢磨を目指してもらいたい…

という実に崇高な思想を唱えられますとカチョーになってのぼせ上っていた私はコロリと参ったんですね^^

 或る夜の経営者会議の席で 月次決算書を配られて説明を受けるまでもなく つらつらと数字の報告を聞くままに 儲かって

無いなぁ と思っていると 組合には同業他社の動向に合わせなければならないので ボーナスは コレコレを出します。 

ですがここにお集まりの皆さんには 申し訳ないですが今回は、一か月を考えています。 と社長からの話があって ほかの重役の

方々は黙しているだけ… 会議室は沈黙の海深く沈むままで まさか末席の今夜初めての若造が そんなのワリに合いません、とは

言い出せませんよねぇ~(泪)

当時営業でありながら細かい数字に無頓着な私でも、ボーナスが一ヶ月では組合のときなら悪くても2か月あったのと比べてみれば

明らかな減収になるんやろか …とうなだれていますと 帰り道に 先輩のブチョーさんが寄ってきて  あのなぁ高村君、お前の

気持ちは分かるけど今は儲かってないから仕方ないんや、又儲かったら組合なんか屁でもないほど貰えるから…

とよくわからない論法で慰めてくれました。ですが又儲かったらと言われるけど、この数年は全然儲かってないじゃぁないですか。

と反論をしようかと思ったのですが、この人に文句を言っても、悪いのは業績であってこのブチョーではないと気付いて思い直しました

が、あとからあれっ と思ったのは、この数年は業績が悪かったのは確かですがその前なんか結構儲かっていた筈で 私なんか

ボーナスを2.5か月貰って社内で最高だと大喜びをしていました。ですが 先ほどのブチョーさんの話しでしたら この人って

どれくらい貰っていたのかなぁ…と考えると タイミングの悪い時にカチョーになったなぁとなんか虚しくなり仕事にも他の事も気力が

出なくて のんべんだらりとしていたら パートのおばちゃんが あら、高村さん最近元気ないみたいやけど どうしたん?まさか

今頃五月病かな?と笑いました。

 今更 五月病って このおばちゃん 人の気も知らないで…と苦笑したのですが  高村さんが元気ないとこの会社ホンマに

アカンようになるよ、高村カチョーさん、とおばちゃんは私の背中をポンと叩くのでした。

 そういわれ檄を飛ばされて はっと思いましたね。しんみりしていたら会社のリーダーとして失格や、空でも元気出さな

アカン、とね^^

 昔の賢人が 泥舟に乗ったらアカン 樫の木の舟にせよ、 というような言葉がありました。なるほどこれはよく言ったもので

泥の舟では水が漏れて沈んでしまう、樫木の舟は 頑丈で水も漏れないしいつまでも運航できますもんね。

 あの時あのおばちゃんが声を掛けていなかったら 私は クサって会社を辞めていたかも知れません。いずれにしてもあの

繊維会社には定年まで勤めることは叶わなかったわけですが…  五月病 懐かしい言葉ですねぇ^^

 

 

 

 

コメント (2)
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