遊水地の山野草シリーズ No.24
遊水地も秋の様相になってきました。
ヒガンバナとミズアオイが咲き始めました。
ヒガンバナ
土手の草むらに隠れて咲いていました。
草をかき分けないと見えないですが、この花たちは土手の途中に見えていました。
広々したところで一本だけ「もう咲くよ」と言っているようです。
ミズアオイ
生育環境が保護されていますが、今年の猛暑と夏の水不足で育ちきれなかった株がたくさんあります。
例年、ここには水面が見えないほど育っていますが、今年はかなり隙間ができています。
花が咲き始めましたが、葉も花も傷ついています。
これからもっと咲きますので、きれいな花が咲くように祈る気持ちです。
父親が亡くなって2年。
三回忌の法要を行いました。
この時期ですから、長男と次男の家族だけで行いました。
叔父叔母は高齢で遠方から来るのも大変ですし、多くが集まるのは控えたいということもあり、こぢんまりと行いました。
実家で僧侶に読経してもらい、墓参り。
墓は、実家のすぐ裏に地域の共同墓地があるので、実家から歩いて1分もすれば着きます。
その後、お寺参りをして終了。
読経の時、教本を配って参列者が一緒に唱えます。
その一つが般若心経。
意味もわからずに一緒に唱えていましたが、どうも空になれば救われるということかなと。
暑い日でしたが、無事に三回忌ができて安心しました。
昨日の記事に追加して書きます。
「自助 共助 公助」は災害の時によく使われますが、地域福祉においても大切なキーワードとなっています。
高齢者の支援をとってみると、自助は自分自身で介護予防の取り組みや健康管理をすること、共助は隣近所で助け合う、地域で支え合いの取り組みを進めるなど、公助は介護保険のサービスや自治体などによる支援のサービスなどになります。
共助の課題は昨日も書きましたが、コロナ禍で見えてきたことは、活動基盤が脆弱で取り組みに限界があること、一方で柔軟性に富んだ取り組みに期待が持てることではないでしょうか。
子ども食堂も共助の取り組みの一つですが、コロナ禍で休止せざるを得ないという報道もありました。一方で、休業した飲食店が子どもたちのために安く弁当を配るということも行われていました。
やはり、共助には柔軟な発想が大切だということを示しています。
気になるのは公助。
コロナ禍で、保健所の過酷な状況が報道されていますが、まさに保健所は大幅に縮小されてきました。
かつて長年保健所で働いてきたまちともは、縮小される状況を目の当たりにしてきました。
母子保健などの対人保健業務が市町村に移管されるなどの背景がありましたが、全国に850近くあった保健所が半減しています。
大阪市などは1か所しかないという状況です。
保健所に限らず、様々な公的なサービスを縮小し、その穴埋めを共助と言いながら地域社会に負担を強いる構図が続いています。
地域福祉活動に携わって、そのことは身をもって感じています。
公助が充実してこそ、共助も自助もその役割を果たすことができるのではないでしょうか。
政治家が「自助 共助 公助」を声高に言うのではなく、いかに公助を充実させるのかを示したいただきたいものです。
地域福祉関係の会議に参加しました。
コロナ禍での地域福祉活動の難しさを改めて感じています。
地域福祉は、人と人とのつながりを作る活動です。
地域社会の人間関係が希薄になってきたということで、改めて結びつきを強めようという活動が取り組まれてきました。
当地でも地区社協を中心に、世代間交流をはかるための稲作の取り組み、介護予防を地域のボランティアにより取り組んできたミニデイサービス、子育てを交流しようという子育てサロンなど、人と人のつながりを作り新たな地域社会の人間関係を作っていく活動です。
これが今、感染予防ということですべて中止となっています。
毎年、民生委員が行っていた高齢者実態調査という取り組みがありますが、これも今年度は中止となりました。
学区の自治会連合会が主催している敬老祝賀会も、関係者に記念品を配布するだけの取り組みになりました。
ミニデイサービスと子育てサロンは、9月から感染予防を徹底して再開してもよいとの方針が示されましたが、多くの所で心配との声があり、再開が先送りされています。
ボランティアが運営するこれらの事業は、ボランティアの善意だけで取り組まれてきて、その事業の中で感染が拡大した時の責任問題などを考えると再開に二の足を踏む気持ちもよくわかります。
ボランティアに支えられる地域福祉活動のもろさが示されているのではないかと考えます。
一方、少人数で対応する「ちょっとした困りごと支援事業」という活動は継続しています。
ゴミ出し、高いところのものを下ろす、庭の草取り、買い物代行など、今までできていたことがけがなどでできなくなった時、ボランティアが支援する取り組みです。
少人数、短時間でできるこのような活動は、お互いに負担にならないことから、コロナ禍でもつながりを作りながら実施できています。
今までの実績にとらわれることなく、ちょっとしたつながりを大切にしていく地域社会の取り組みを、これからは追求していく必要があるのではと考えています。