まちがいなく日本一だった
昔、下北沢に「T5」という地下のライブハウスがあった。80年代には連日、そこでフュージョンを演っていた。よく通ったものだ。
ある日、高橋ゲタ夫が出るというので見に行った。バンドは確か、向井滋春の「オリッサ」じゃなかったかな?
で、ステージを見ると、ゲタ夫の相方のドラマーは古澤良治郎だった。(うろ覚えだが)ギターは是方博邦だったかな?(うーん、やっぱりオリッサじゃなく、ただのセッションバンドだったかもしれない)
私はこのとき生まれて初めて古澤のプレイを見たのだが、それはもう凄かった。まさに地を這うようなノリで、グルーヴ感が強烈だった。しかもコンビを組むのが高橋ゲタ夫なんだから演奏が悪いわけがない。
古澤のドラミングを見たのは後にも先にもあれ一回だけだったが、彼はまちがいなく日本でナンバーワンのドラマーだった。これは自信を持って言える。
ゲタ夫も演奏しながらすごく楽しそうで、笑顔で演っていた。
実にいい演奏だった。
昔の下北沢は隠れ家的だった
あのころは下北沢も(いまのようにメジャーじゃなく)隠れ家的なひっそりした街で、雰囲気がよかった。
なぜ私がそのころ下北沢に住みついたのか? それは当時まだ学生だった私は、ポスター配りのバイトをやっていたのがきっかけだった。
ポスターを何枚配っていくら、というアルバイトだ。
その日に配ったポスターは演劇もので、場所がたまたま下北沢だった。夜、下北の飲み屋へポスターを置きに行くと、店のマスターやお客さんから、
「お前、それ1枚、配っていくらになるんだ? 大変だな。がんばれよ」
などと励まされた。
チラシ配りのバイトで食い繋ぎながら演劇をやっているのだと勘違いされ、激励されたのだ。まあそもそも演劇の街だからなぁ。しかも行く店、行く店、すべてそんなふうでまったく同じ厚遇ぶりだった。
当時、物書きになろうと思っていた学生の私は、
「ああ、この街はカルチャーを育てる日本のグリニッジビレッジなんだ!」
などといたく感動し、それがきっかけで下北沢に住み着いてしまったわけだ。
叫び声に反応したギタリスト・山岸潤史
当時、下北沢でライヴを見たミュージシャンは数多い。もちろん古澤良治郎だけじゃなく、たくさんいた。
同じ「T5」で山岸潤史を見たときも面白かった。たぶんお客さんは素人さんばかりなのだろう、その日の客席は恐ろしいほどシーンと静まり返っていた。
激しい演奏とは好対照だった。
で、「これはいかん。盛り上げなければ」と、山岸がギターソロを取ったときに私がタイミングを見て「イェーイ! 行けぇ、山岸ッ!」と大声で叫んだ。客席はえらく静かで、そんなことをやるのは私だけだ。
すると私の叫び声を聞いた山岸は私のほうを振り返り、激しくノリながらソロを弾き始めた。なにか私に助けを求めるような感じだった。なんせ客席は恐ろしいほど「シーン」と静まり返ってるんだからムリもない。
で、次の曲の同じくギターソロのとき、山岸はまた私のほうを向きながら弾き始めた。だが静まり返った観客席のなか、さすがに今度は私も気が引けてそれ以上は助太刀する度胸がなくて黙っていた。
「ああ、あのとき叫べばよかったなぁ」
そんなことをふと思い出した。