知的好奇心をくすぐられる古谷氏の言説
今回の兵庫県知事選挙をめぐる興味深い分析記事を読んだ。
おかげで触発されて次々に新しいアイディアがわいた。で、それらをこの記事でご紹介し、私なりの論駁を交えて論説しよう。
少し長くなるが、主論と思われる部分を引用しよう。
『ほとんどの人間にとって、もはやテレビや新聞といった、いわゆる「オールドメディア」は、水や空気のような存在であり、受動的で「受け流す」メディア・インフラになっているからだ。それに対してSNSでは、検索窓での入力や、画面のタッチ、クリックによって、「能動的に自分が選ぶ(選んだ)」という動作が加わることで、一部の人にとってはテレビよりもはるかに信用できるメディアとして機能しているからである』
『テレビは「勝手に流れてくるメディア」であり信用に値しない。一方、SNSやネットは「検索とクリック」という行為が、「これは自分で選んだ情報である」とユーザーを錯覚させる。人間は、国籍や年齢の別なく、「自分で選択したもの」に価値を置き、ありがたみを感じる。与えられたものより、自分の意志で選んだものの方が尊いと思う』
『検索とクリックという過程を経て「たどりついた」ように思えるネットやSNSや動画からの情報は、このような身体性の有無によって、テレビや新聞よりも「信用できる」と少なくない人は感じるのである』
古谷氏のいう「身体性」とは自分のカラダで選んだ実感を指す
上でいう「身体性」とは、つまり検索やクリックのような自分で能動的に行う動作を指す。それが自分で選んだ=だから正しい、という心理的作用を人間に及ぼすーー。これが古谷氏の説だ。
新聞やテレビと違い、SNSではこれらの「身体性」が一枚噛むことでツールから情報を得る行為に「確からしさ」が加わる、と氏は論述されている。
そして記事の中段で『筆者は永年、ネット保守や陰謀論者の動静を調査、分析してきた。その結果、荒唐無稽な作り話や、陰謀論を信じている者のほとんどが、老若男女問わず異口同音に言うのは「私が調べた、勉強した」と口にして、前述の陰謀論を信じる強い理由や動機にしている』と補足されている。
だが氏の論説は、私の分析とかなり異なる。確かに氏が解説される通り、メディア構造としてのプッシュ/プル型の違い(後述する)は、今回の現象を引き起こすひとつの「誘因」にはなった。
氏が語るそれは、SNSというネットツールの機能が人間のメンタル(心理面)に与える影響を明快に解説されている。だがあくまでそれは今回の現象を引き起こした誘因(きっかけ)であり、各論のひとつだと私は考える。
今回の現象を主構成するメインテーマ(本論)は、ほかにあるのだ。
つまりこの社会現象は、人々が選んだメディアのタイプがこうした「プッシュ型か?」、あるいは「プル型か?」に起因するものでは必ずしもない。
ちなみにこれらはマーケティング用語だ。次項で解説しよう。
プッシュ型はメディアから一方通行で来る情報、一方のプル型は双方向通信だ
カンタンにいえばプッシュ型とは、メディアから一方通行で情報を受けるコミュニケーションを指す。これは従来の大手メディアなど、いわゆるオールドメディアが取ってきた手法だ。
マーケティングの世界でプッシュ型は、「企業側から積極的に商品の宣伝・販売等を行う戦略だ」とカテゴライズされている。
一方、ネットに代表されるプル型は双方向通信だ。
ひとことで言えば「ユーザ参加型のメディア」である。今回のケースに見られるようなSNSをフル活用した「能動的」なコミュニケーションがこれに当たる。
これらの差異を古谷氏は記事の中で、オールドメディア=受動的、SNS=能動的と定義付ける。つまりSNSが活躍した今回の現象では、人々はすすんで自分が検索するなどの動作を行うことにより、能動的に情報を選んだ。
そのことで「SNSはそのぶん信用できるメディアだ」「このコミュニケーションは真実性が高い」「SNSから流れてくる情報はテレビより確度が上に違いない」と認知した。
だから今回の案件では、多くの有権者がデマを信じてしまったのだ、と分析されている。
繰り返しになるが、もちろんこの要素も「一因」としてはあり得る。だがそもそも今回の社会現象を引き起こした「主因」は、あくまでそれとは別だ。
氏のおっしゃる説は引き金・論にすぎず、現象のきっかけである。語るべき主題は、ほかにあると私は考えている。
主題は「1%(富裕層)vs 99%(貧困層)」という社会階層の対決にある
結論から先に言おう。
私の解釈では、今回の出来事はオールドメディアにずっと支配され続けてきた社会の「99%」を構成する人々が、ネット(=SNS)という飛び道具を手にしたことで起こった一種の擬似「大衆革命」だ。
これは「1%(富裕層=既得権益側)の人々と、99%(貧困層=持たざる者)」に社会階層を分類することで、貧富の格差と権力の支配構造、またそれに起因するアメリカ社会で過去に起きた運動を表現した言葉に由来する。
おそらく今回の兵庫現象の源流はそこにある。
この言葉は一時、日本でも話題になったので覚えている方もおられるだろう。
ひとことで言えば、アメリカで起こった「富裕層 vs 庶民」の争いだ。極端な超・富裕層に支配されているアメリカは、「1% vs 99%」の社会構造にあると分析されたわけだ。
この言葉が今回の「兵庫案件」を説明するのにいちばんぴったりくる。つまりこれは社会構造の問題なのだ。
話は2010年代のアメリカにさかのぼる 例えばアメリカに在住する映画評論家・コラムニストの
町山智浩氏は、「
99%対1% アメリカ格差ウォーズ」(講談社)と題する書籍を2014年にリリースした。そこにアマゾンはこんな解説をのせている。
『オバマはヒトラー! オバマはアフリカへ帰れ! 貧乏人に医療保険を与えるやつは殺す! ワシントンに集まり気勢を上げる幾万もの金持ち保守層。金持ちに増税しろ! ウォール街を選挙せよ! 経済を危機に陥れ民主主義のプロセスを犯罪的に逸脱してきた金融屋を弾劾する貧乏リベラル。取材で訪れた著者も思わず「もう、沢山だ!」と叫んだ。富める1%と貧しき99%との壮絶な「アメリカの内戦」を鋭い舌鋒で斬る!』
類似の書籍はもちろん他にもある。以下の書籍も2010年代初頭に起こった社会的な激動を扱っている。
「
99%の反乱-ウォール街占拠運動のとらえ方」(サラ・ヴァン・ゲルダー・著)
同書のアマゾンによる解説にはこうある。
「世界の不況はここから始まった! いま、アメリカで何が起きているのか?! 2011年9月、最先端資本主義国家アメリカで、政治家や識者が起こるはずがないと思っていた何かが起こった。 サブプライムローンの暴落、それに続くリーマンショックを経て、さらに肥え太った1%のスーパーリッチに対して、99%の大衆はついに異議申し立てを開始した」
アメリカで起こったことは「10年後」に日本でも起こる
つまり今回の兵庫の現象は、日本におけるこうした社会構造の「揺り返し」なのだ。まぁ古めかしい表現をすれば「社会運動」の一種とも解釈できる。
ちなみにアメリカでもまだ当時、これに関するネットの影響はあまり語られてなかった。だが今回の「兵庫案件」も、主題はここにあるのだろう。
アメリカで起こったことは、10年経って日本でも起こるーー。
これは昔からよく言われてきた言葉だ。その通り、
町山智浩氏の上記の書籍は2014年に発売されている。
アメリカで起きたそれから10年後、つまり日本の今、2024年にあたる。やっぱり10年後に日本へ来たのだ。
日本における「1% vs 99%」の戦いこそが、兵庫における出来事だった。これは長く続いたオールドメディアによる支配構造に反発する、ネットユーザによる揺り返しといえる。
「見よ、ネットの勝利だ!」とあのとき彼は叫んだ
今でも記憶に残っているのは、2000年頃、誰でもカンタンに記事更新できるブログがまず初めて興隆し大ブレイクしたときのことだ。
それまでのWebページは、サイトの構築や記事更新に手間や知識が必要だった。だから一般人にはなかなか難しかった。
だが、そんな常識を「誰にでもカンタン便利」なブログがぶち壊し、一気にネットを広く一般化したのだ。
これで新聞やテレビなどの既存メディアは、いっぺんに追いやられた。
で、当時、ある名もない1ネットユーザーが、ブログでこう言った。
「見よ、ネットの勝利だ!」
と。
マスコミが支配する社会に対するアンチ勢力としてのネットーー。
インターネットの発祥以来、ネットの世界ではこうした図式で社会構造が語られることが多い。ネットユーザは歴史的に、ずっとこの煩悶を抱えてきた。
その意味で上にあげた「見よ、ネットの勝利だ!」は、オールドメディアの対局に位置する
カウンターカルチャーとしてのブログ側による勝利宣言だったわけだ。
以後、mixiができ、またFacebookやLine、TikTokなどのSNSが続々と一般化したのはご存知の通りだ。
SNSを自在に操れる10〜30代の若い層が「兵庫革命」の主役か?
では、今回の兵庫SNS革命とも呼べる出来事の主役になった「彼ら」の属性は、どんなふうか? 想定してみよう。
一部にお年寄りの有権者もおられただろう。だが私の肌感覚では、比率はそう高くないと感じる。
何より今回はSNSが事態を左右する主役を担った。とすれば主役は、SNSを自在に操れる若い層(有権者ではない人々も含め)のはずだ。これは容易に想像できる。
私のイメージでは、おそらく多くは10代〜30代のネトウヨ層が多く混じる若い年代だろう。
すなわち彼らは生まれた時からネットが存在し、当然のようにSNSに馴染んでいる(具体例は後述する)。当然、ハナから新聞なんて読まない。さらにいえば(従来の地上波などの)テレビも観ない。
若者の新聞離れはすでに有名な話だが、最近では視聴者のテレビ離れもかなり顕著になっている。
まず年代的な分析は以上の通りだ。
都知事選の石丸旋風と国民民主ブーム、兵庫の斎藤&立花支持者にある共通項とは?
では兵庫の斎藤知事や立花支持者を「政治的な層」として分析するとどうか? おそらく小池氏が勝った先日の都知事選で2位に躍進した石丸候補を支持し、あの石丸伸二旋風を巻き起こした層と「丸かぶり」だろう。
さらには国民民主党の支持率が急上昇した現象を実現した階層や、また今回の「兵庫案件」で立花氏や斎藤知事を支持する層とも重なっているはずだ。
石丸旋風、
国民民主の台頭、斎藤知事の再選(と立花支持)という3つの社会現象には、大きな共通項がある。1つは支持層が若いこと。2つめは、そんな彼らによるネット(特にSNS)の活用術だ。
彼ら支持層に共通するキーワードは「反既得権益・反オールドメディア・親ネット(=SNS)」である。もうひとつ言えば、これまでの政治に嫌気がさし、ずっと選挙を棄権してきた層とも一部、重なる。
彼らの支持を得れば大きな政界再編や政権交代の可能性まである
余談だが……ならば今後、この層を果たしてどの政治勢力がコントロールし、握るか? によって政治の流れは大きく変わる。
今まで政治にまるで参加せず、投票を完全に棄権してきた層がまったく新しく加わるのだ。では彼らの政治参加は、いったい何を引き起こすのか?
わかりやすく単純化すれば、選挙のとき、まず「自公で全体の50%を取る」、「残りはすべて家で寝ている。すなわち棄権=0%」。
これですなわち自公政権が永続するーーという、これまで長く続いた政治構造自体が、彼らの政治への参加で大きく変わる可能性がある。これは大きい。
つまり仕掛け方によっては、大規模な政界再編のひとつくらいは起こせるだろうし、もちろん先では政権交代もある。これらの予想は、すでに各種の調査結果でも明らかになっている。
G7各国における自殺死亡率は日本がダントツの1位だ
過去にも一度書いたが、彼ら若い人々は自公政府の酷い行財政政策(特に財務省主導の緊縮財政)に晒されてバカを見てきた層だ。
おかげで日本は30年も続く酷い不況下にある。加えて「政府はお前たちを助けないぞ」てな自己責任論に基づく「弱者切り捨て政策」が長年、取られ続けた。
政府による大きな財政支出や消費減税もなく、ただ貧しい者は見捨てられ、滅びゆくーー。
その結果、特に若い層では低賃金で不安定な非正規雇用や派遣、ワーキングプア化が進んだ。
なかでも都市部では経済的・社会的に貧しく孤立しているため、異性との出会いもない(その結果としての少子高齢化だ)。そんな追い詰められた若い層による自殺が深刻な問題になっている。
そんな中で若い層は借金だらけになり、最近では苦し紛れに一時しのぎのつもりで「闇バイト」に手を出し、足が抜けなくなってとんでもないことになるケースも続発している。
この社会情勢にあって日本では急速に若い層による敵・味方の区別、つまり「ヤツらは体制派(=利権者側・既得権益側)か? そうでないか?」という峻別が進んでいる。
オールドメディアはネット民から見て「利権者(既得権益側)の象徴」だ
また今回のこれら3つの現象(石丸、国民民主、兵庫案件)を起こしたのは、誰か? おそらくいわゆるネトウヨ層を多く含んでいると思うが、ただしその政治思想が起因して起こしたものじゃない。
単にネトウヨ層が、イコールそのまま、いまの若い人たちの主流になっているだけのことだ。政治思想は関係ない。若い層がドッと一気に動いた、そんな彼らは(結果的に)実はネトウヨ層が多かったーーそういう話だ。
つまり最大の眼目は、その人の経済力や所属組織からくる「上流か? 下流か?」「1%か? 99%か?」という階層関係にある。
そんな被支配者層(搾取される側)である彼ら(下流=99%側)から見れば、いわゆるオールドメディアは利権者(既得権益側)の象徴に見える。
彼ら下々にとっては、オールドメディアは政府に代表されるいわゆる体制側と一体化したナアナアの存在なのだ。
体制側(支配層である上流=1%側)と既存メディアはグルになり、(わかりやすい例で言えば)「公金チュウチュウ」する存在だと彼らに見られている。
「だからオールドメディアは、政府のような既得権益側に都合が悪いことは報じない」
「奴らは『報じるべきこと』を報じないのだ」
そう彼らは考えている。オールドメディアの実態を、すでに彼らは知っている。
だから彼ら若い層は受動的なオールドメディアではなく、「結果的」に自分の手で操作し能動的・恣意的に双方向で発送信できるSNSを頼りにする。ゆえにSNSの情報を信じたーーこう解釈すればすべての謎は解ける。ストンと落ちる。
オールドメディア(特にテレビ)の栄枯趨勢に関するメディア分析は次回以降に
いったんまとめよう。
古谷氏がおっしゃる「すべてはSNSというメディアがもつ能動性が起こした」説は、あくまでSNSの能動性がネットユーザを「その気にさせる引き金」になったこと、つまり誘因を説明したものだ。
つまりこの社会現象は氏のおっしゃるように、メディアが「プッシュ型か? それともプル型か?」に起因するものではない。もちろんそれは一因ではあるが、決して主因ではない。本論は別にある。
では本論とは何か?
またもや繰り返しになるが、最後に再度、カンタンにまとめよう。
今回の社会現象の底流に流れる大きな胎動は、明らかに「1% vs 99%」「支配 vs 非支配」「抑圧 vs 非抑圧」「利権者側 vs 持たざる者」という大きな社会構造的な対立が引き起こしたものだ。
SNSの能動性や、いわゆるオールドメディアの後進性等は、それら現象を構成する脇役であり一要素にすぎない。
さて、ではこうしたSNSの最前線では、いったい何が起こっているのか?
いまどきのSNSは、若いユーザにどんな使われ方をしているか? 他方、テレビや新聞などのいわゆるオールドメディアの栄枯趨勢ぶりや、現状はどうなっているのか?
このところ、そんなとても興味深い「驚愕の最新調査データ」が立て続けに公開されている。
その中ではテレビの見るも無惨な凋落ぶりが、まざまざと浮き彫りになった。一方、それに代わるYouTubeの躍進も、とんでもない数字やデータで厳然と論証されている。
なので次回以降はこれらのデータを順次、ご紹介しながら、さらに深くメディア分析をしていこう。
お楽しみに。