命光不動尊のブログ

貴方の知らない神道や仏教の教えが命光不動尊にはあります。

神様の御魂鎮め

2015年02月26日 18時11分40秒 | 神道(お祓い) 

本日は、堺の信者様が

宝塚の清荒神様のお札を頂いてきたので、

新しい御神札(おふだ)と入れ替えして欲しいと来られました。

 

当山では、清荒神様の神札は毎年交換するようにご指導しております。

 

お札の入れ替えと言う事は、

毎年新しい御神札と入れ替えることにより、神霊の魂の再生をしていることになります。

  

お社の昨年の御神札より、神霊を吾が身代にご招神させて頂き

 つまり私の身体に、御神霊を、お招きすること

 

昨年の御神札から今年の新しい御神札に御魂鎮めの修法をいたします。

注 私の身体にお招きしております御神霊を再び、お社の中の御神札に御魂入れすること

 

今年一年間のご守護をいただけることになりました。

めでたし めでたし

 


ボランティアに参加

2015年02月25日 20時37分36秒 | 日記

午前中の供養を終えて午後から近所の看板の

製作に参加しました。

あでもない、こうでもないと話中年寄り二人

ようやく、話がまとまり作業完成

看板取付作業終了

めでたし、めでたし

年を取っても昔の杵柄この辺で

右に出る事の無い腕前と自負しきり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


和泉市に書画の勉強に

2015年02月24日 17時40分28秒 | 日記

和泉市からの帰りに凄い縁起の良い車が我が愛車の前に

割り込んできました。 

約十分間位私の車の前を走ってくれました。

素晴らしいパワーを頂きました。こんな事は滅多にありません。

恵比寿様が、私に向かって小判を投げてくださいました。

「いやさかさっさいやさっささ」恵比寿様のお言葉ですよ。

みなさんにも良い事がありますように。

 

 

 

 


護摩祈祷の祈願護摩木

2015年02月23日 18時22分39秒 | 加持祈祷

おくじの入らない護摩木です。

当山のおくじは真剣加持刀で切込みを致します。

物凄く護摩木に筋が入っていますが。

交通安全の願いが叶わないと言う事です。

 

おくじが全て跳ね返されるので、おくじが入りません。

この願主様は貰い事故のご神示がでましたので

災難不起の護摩木で難を逃れるので書いて頂きました。

 

無事に護摩木におくじが入り、これにて一件楽着です。

副住職も命光秘流護摩の奥儀も、マスターしてくれました。

奈良のお寺さんで当山の一願成就の願封じの奥儀を真似をして、

右腕を大火傷したそうです。なんでも聞きかじりで事をしてはいけませんね。

 

何事もいい加減ではいけません。確りと身に付くまで修行です。

わたくしも、何時までも「あて」にされない様に、成るべく若い者にと

任せる様にしています。世代交代ですね。

ワッハッハッと、お地蔵さんの境地で、のんびり、のんびり

 

 

 

 


猫のお坊さんと尼さん

2015年02月22日 17時55分05秒 | 日記

午後からのお勤めの後のお楽しみ

白黒の模様はせんちゃん。名前の由来

産まれて間もなく猫捕りの鳥もちの罠に掛かり、捨てられ、

その上、カラスに左耳の頭の付け根を突かれ、ぱっくり穴があき膿んでいた。

 

早朝猫の鳴き声に起こされて、寺の玄関を見れば瀕死のせんちゃんが、

千円札と一緒に捨てて有った、しばらくして、えらく烏が騒ぎ出したので、

出て見れば烏がせんちゃんを狙っていたので追っ払い保護した。

 

兎に角まずは獣医さんの所に連れて行く事にした。

先生の診断ではかなり傷が深いので助かる確率は厳しいと言われた。

せんちゃんの、持参金千円です。残りの費用はお支払しますと言う事で、お願いし帰宅した。

 

無事手術も終わり、元気になって帰って来たが。先生は千円のみで、頑として受け取ってくれないので、

寳来寺の飼い猫として飼い、先生に末永くお世話になる事にしました。

先生に受けた御恩を忘れない為に「千」と名付けた、現在は元気いっぱいに暮らしています。

 

「せんちゃん」の横に居る猫は、まだらの模様で見かけが狸に似ているので家では「たぬちゃん」と呼んでいます。

たぬちゃんもまた瀕死の親がお礼に連れて来て置いて帰りました。たぬちゃんの母猫は「たま」と言います。

母猫のたまは妊賑中にガリガリに痩せ寳来寺の庭先に倒れて居ました。副住職の貞観尼が面倒を看て

 

快復させましたが、近所に団地が有り野良猫狩りの檻で捕られてしまったそうです。

たぬちゃんは、雌猫のため可哀相ですが避妊手術しました。

生き物は人間だけが尊いのでは有りません。

 

森羅万象の中に於いて自分と縁の無き者は絶対に廻り合うと言う事無いと

お釈迦様言って居られます。縁は大事にしたいものです。