人の世話を進んでする人がいます。
そのような方は、人の喜び姿を見て自分も喜ぶ方が多いですね。
また、反対に人から何かをしてもらうのが大好きな人も多いですね。
その方たちを比べますと、
人の世話を喜んでする方は、「徳(分)」を積んでいるのです。
また、何かをしてもらった人は、「楽」できて「得」しているのです。
同じ「とく」でも大違い」です。
貴方は、どちらを選びますか。
合掌
人の世話を進んでする人がいます。
そのような方は、人の喜び姿を見て自分も喜ぶ方が多いですね。
また、反対に人から何かをしてもらうのが大好きな人も多いですね。
その方たちを比べますと、
人の世話を喜んでする方は、「徳(分)」を積んでいるのです。
また、何かをしてもらった人は、「楽」できて「得」しているのです。
同じ「とく」でも大違い」です。
貴方は、どちらを選びますか。
合掌
弘法大師様は
「一切の生けるものは、みな自分の両親であり先生である」と言われました。
このお言葉は、
「自分以外、みな人生の師匠なり」ということになります。
要は学ぼうという
気持ちが大切であり、そうでないとどんな言葉も耳に入りません。
「馬の耳に念仏」では困ります。
向上する人は、自分より下の人でも師匠と仰いで学び取ります。
目下の人だけでなく目上も、
目横も自分自身も、
さらに言えば犬や猫などの動物や草花
そして、そこらに転がってる石ころをも師匠と仰ぎます。
師匠を多くもてる人ほど向上できています。
合掌
命光不動尊様より
霊界施餓鬼一粒満腹法要をすることで、
莫大な陰徳陽報のお宝(徳)を頂戴しておるが、それがわからない者が多すぎる。
一生懸命に霊界施餓鬼一粒満腹法要をしていても
一向に運勢が良くならないと文句がいう者がおるが、
その者たちは、溢れるほどの陰徳陽報のお宝(徳)を頂戴しながら、
上手に使うことができないのである。
せっかく莫大な陰徳陽報のお宝(徳)を頂きながら、
運が良くならないのは、
己自身にその陰徳をお受けするだけの力が備わっていないからであり、
俗にいう「宝の持ち腐れ」である。
この「宝の餅腐れ」から脱出するためには、
まず、「四家先祖供養」をし、己自身に徳をつけることである。
徳分の備わった者は、
頂戴した陰徳陽報のお宝(徳)を
上手に使わせていただき、苦労なく世間で出世したり、
財運が付き豊かな人生をおくっておられます。
徳分のない者は、
先ず家庭に於いては先祖供養を怠るな。
そして、両親、連れ合い、子どもとの家庭円満を心がけるべし。
そして世間に施しをすることによって、
自ずと徳分が巡ってくるのである。
というお不動様のお話でございました。
日々の生活では、
物事について深く考えず、惰性で行動している方が
多いのではないでしょうか?
しかし、忙しいなどは、
小さなことや基礎的なことをおろそかにしがちです。
その時の小さなミスや少しの手抜きが、
後に、大きな災難に繋がることがあります。
日頃から、基礎的なことを確実にしてから
行動に移すように心がけましょう。
ピラミッドは、
上の作りと同じものが地下にも作られているそうです。
昔の人は、如何に基礎を大事にしたのか
昔の建物を見ればよく分かりますね。
人間も大成しようと思えば
基礎をしっかり身に付けることが大切です。
基礎をまずしっかりさせて
少々のことではブレないように。
南無大師遍照金剛
昨日の二十二日は、貞観の母親の月命日でした。
令和元年の八月二十二日 今年で五年になります。
供養中に「お水が欲しいと言ってる」ということで、急遽お水をお供えしました。
母の亡くなったこの日は、酷暑と呼ばれるとても暑い日でした。
お墓の掃除に行き、水を飲むことができず、熱中症で亡くなったのでした。
この母親の死が、前世からの因縁によるものだったと、昨日、山主より知らされました。
写真の時は神仏や霊とお話をしている時です。
昔、熊野の行者さんがとても暑い日に、水を飲ませて
欲しいとお願いしたのに、飲ませてもらえず、
熱中症で亡くなったということが機縁となっているようです。
母親は死後、その熊野の行者さんと逢い、
「これであいこやな(おあいこ)」と言われたそうです。
山主は、その晩も「助けてやれなかった」と、涙してくださいました。
しかし、「お不動様は、寿命じゃ」と。
この話を聞き、山主も貞観も納得しました。
前世でしたことは、この世で返さなければならないのです。
良いことも悪いことも。
「一期一会」という言葉があるように、
逢った瞬間が大事なんですね。
合掌