本日も霊界施餓鬼一粒萬福法要のお申込みがございました。
火護摩と並行して故人様のご供養をさせていただきますと、
ご供養に来られました大勢のご先祖様も皆、大満足のご様子でございました。
護摩の火とご供養の二本柱で、
浄化がより一層早く進むとのことでございます。
このような有難いご供養法は命光不動尊しかございませんので、
どの霊も希望されるとのことでした。
南無大師遍照金剛
本日も霊界施餓鬼一粒萬福法要のお申込みがございました。
火護摩と並行して故人様のご供養をさせていただきますと、
ご供養に来られました大勢のご先祖様も皆、大満足のご様子でございました。
護摩の火とご供養の二本柱で、
浄化がより一層早く進むとのことでございます。
このような有難いご供養法は命光不動尊しかございませんので、
どの霊も希望されるとのことでした。
南無大師遍照金剛
昨日は、四家供養の日でした。
お一人の信者様に
お二人のご先祖様から「年忌供養を霊界施餓鬼一粒萬福法要でして欲しい」というご依頼があり
それを信者様にお伝えいたしました。
信者様は、ちょうど今年がお二人のご先祖様の年忌に当たるとのことでした。
昔からの菩提寺さんがおありで、其方でお願いされる予定をされていたようですが、
故人様より「霊界施餓鬼で」と、直接お願いされましたのでその信者様は
「両方で供養します」と言われました。
最近は、菩提寺さんでも当山でも、二重で供養をされる方が多くなりました。
その理由をお聞きすると、菩提寺さんでの供養も有難いのですが、
ここの供養内容が全く違うので別々と考えられているようです。
命光不動尊の「霊界施餓鬼一粒萬福法要」は、
「お供えものを霊界に持って行くことができ、
そのお供えものを餓鬼に配ることができる唯一の供養です。」と、
大変喜ばれております。
特に年忌供養は、
霊界で上の境涯(修行の場)へ上がるための大事な日となっております。
霊界でも修行するためは、授業料のようなものを納めなければなりません。
そのために供養=授業料が必要になります。
故人(御先祖様)がしっかり修行ができるように
子孫はしっかりと供養する必要があります。
供養をすれば、するほどご先祖様が霊界で出世できるということになり、
そして、その子孫は、現世で出世しております。
合掌
古い信者様のお話です。
仏壇を守っていた女性の方が骨折し、退院したのですが
以前のような生活ができず、息子と同居しているとのことです。
そして仏壇は、そのまま、空き家になった家に置いてあるようです。
これは、霊界施餓鬼一粒萬福法要をしている時に
ご先祖様のお話くださいました。
お茶もご飯もお供えしてくれなくなって、お腹がすいているというお話です。
今日は供養をしてくれたお陰で、ご飯が食べられると喜んでくださったそうです。
永代供養が流行っておりますが、集団生活のようなもの。
ちゃんとしたお供えがあるのでしょうか。
あるとしても沢山のご先祖様、どのようにして分けるのでしょう?
心配ですよね。
こんなこと、考えたことありますか?
合掌
誰でも理想とする人はおられると思います。
その人のように考え方。
その人のような行い。
その人のような仕草。
など
その人のようになりたければ、
その人が毎日している習慣を真似ることですが一番の近道です。
真似るは学ぶということ。
行動や食べ物や考え方で人は変わることができます。
どういう考えで、
どういう物を食べて
どういう生き方をしているのかを真似る。
簡単なようで、簡単ではありませんが、
修行も同じで、師匠のやり方を真似ることから始まります。
今の人はすぐに答えを求めますが、心に響いたものが
悟りである。
「師匠は私を超えていけ!」と言われますが…。
あなたの理想とする人は、
努力したから… そうなれたのです。
合掌
栄える人を、見抜くのは意図たやすく。
また、破滅におもむく人を見抜くのもたやすい。
道理を信じる人は栄え、
道理に不信の人は破滅する
これは、いつの世でも道理である。
自分の能力を最大に活かして、
正しく正直に、
言葉は優しく、
心は穏やかにして、
慈しみのこころを持たなければならない。
これは菩薩の行ないである。
行住座臥、
命のある限り生きとし生けるものに限り無き
慈しみのこころを持ちつづけよ。
これが崇高の境地となる。
あたかも母親が命がけでわが子を護る様に。
世間に対し、限り無い慈しみのこころを抱き、
誰に対しても恨む事無く、敵意は持たず慈しめ。
常に和合のこころのを養え
(お釈迦様のお言葉より)