令和7年4月1日(火)
山形市: 出羽国分寺薬師堂
出羽国分寺は天平の頃、
聖武天皇の命を受けた行基
によって開山され、
鎮守府将軍大野東人が伽藍を
造営する。
<薬師堂入口山門>
さらに、
慈覚大師が再興して
天台宗となる。
その後、
源頼義や藤原秀衡、
鎌倉時代と寒河江近辺を領した
大江広元、
戦国時代は山形城主が
出羽国按察使として
山形に入部する。
早速堂塔を修復し、
最上義光等幾多の人たちの
再興により現在に至っている。
<本堂>
毎年5月8日には、
「薬師まつり」が開かれ、
名物の植木市が出店し、
賑わいを見せる。
山形の植木市は
「全国三大植木市」
に数えられる盛大なもので、
四百年以上の古い歴史を持つ。

山形城主最上義光が
大火で焼失した山形城下の
緑を取り戻すために、
農民に呼びかけたのが始まり。
現在は、
「千歳公園」として
公園の中央に薬師堂がある。
明治44年(1911)5月8日、
市北大火によって薬師堂は
焼失する。
現在の本堂は、
旧宝幢寺(現もみじ公園)の本堂を
移建したもの。
<芭蕉関係碑>
道の右手に、
「芭蕉碑」がある。
その右に、
芭蕉翁の句碑。
<芭蕉碑と芭蕉句碑>
<松風の真蹟の由来碑>
「松風の 落葉か水の
音涼し」。