令和6年6月30日(日)
足立区西新井大師②
さて、西新井大師の由緒は?
弘法大師、
別名空海が関東巡錫の途中、
西新井を通った際、
観音菩薩の霊託を聴く。
本尊の十一面観音を彫り、
天長3年(826)に
寺院を建立したことに始まるという。
本堂は昭和41年火災により焼亡。
昭和46年に再建される。
川﨑大師などとともに
「関東三大師」の一つで、
初詣は本当に賑わう。
地元での愛称は、
「お大師様」。
<稚児大師尊像>
境内には、弘法大師によって
もたらされたとされる加持水
の井戸がある。
この井戸が本堂の西側に所在する
ことが当地の地名である西新井の
名の由来とされている。
中野区の新井薬師と同じ
中野区の新井薬師と同じ
真言宗豊山派の寺院。
<いろは歌碑>
西新井大師は正式名
「五智山遍照院總持寺」。
総持寺は、
横浜の鶴見区の総持寺が総本山。
皆、私の経歴と関係深い寺社。
縁深し!
西新井大師には、
西新井大師には、
100基を超える石造物がある。
しかし、句碑はわずか3基。
しかし、句碑はわずか3基。
<歌碑①>
そのうちの1基が芭蕉の句碑。
<芭蕉句碑>
高野山で詠んだ、
「父母の
しきりに恋し
雉の声」 。