貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

花かつみは、見ることなく・・・

2021-11-30 14:45:14 | 日記
令和3年11月30日(火)
 霜月も晦日、穏やかな日和である。
 宿駅のそばに浮世離れした僧がいて、
「栗という字は、西の木だから
 西方浄土を示す。」
と、つまらないことを言うと、
走り書きしている。
 ほんとお坊さんも悟りとはほど遠し?

 やっと例の等躬宅から逃げ出して、
沼の多い街道を行く。
 この辺り花かつみが多いと
『古今和歌集』にあったので、
「どなたか花かつみはどれか教えてください。』
と、人々に尋ねてみるが、誰もしらない。
 がっかり!
 今は、花かつみは、「ひめしゃが」とされ、
郡山市の花として制定されている。
 安積山公園で、しっかり育てられている。
 二本松から福島に来て、宿に泊まる。



文章の変化を読むか

2021-11-29 16:29:16 | 日記
令和3年11月29日(月)
 白河の関を越えて、いよいよ奥羽に
入る。
 芭蕉の心は松島に向いていて、
その焦りのためか、
散文は、どこか、形式や人物の羅列式
である。
 対象の自然、特に山や川の文章に
あまり精彩がない。
 そして、松島に来て急に緻密で勢い
のある文体となる。
 この突然の変化ができるのも、
何回も読んでみると、
前のほうの羅列式の文章が
急に勢いのある細密描写になることで、
その変幻の効果を狙っている向きも
芭蕉にはあったと読めるのだ。
 まず、阿武隈川を渡る。磐梯山が見える。
やがて、山々の連なるのが見える。
須賀川の宿駅に等躬という芭蕉の旧知の男
がいる。
つづく。


卯の花の晴着かな

2021-11-28 14:33:54 | 日記
令和3年11月28日(日)
卯の花を 
  かざしに関の 
     晴着かな      
          曽良 
 奥羽への入り口に来て、心躍る様を
力ある文章で表現する。
 能因の歌
「都をば
  霞とともに
    立ちしかど
      秋風ぞ吹く
        白河の関」

 源頼政の歌
「都には
   まだ青葉にて
      見しかども
       紅葉散りしく
        白河の関」
の二つの詠みを、
巧みに組み合わせた書き様は
見事というほかなし。
 卯の花を雪に見立てたのもよい。
 古人が冠を正した代わりに、
芭蕉と曽良は卯の花をかざして
晴着にしたのだ。


奥羽の入り口、心も躍る!

2021-11-27 11:53:41 | 日記
令和3年11月27日(土)
 小春日和から一転寒の入り!
 落葉に誇りが舞い、体の冷えは増す
ばかりのウォーキングとなる。

 さて、四月二十日、やっと白河の関に
到達。
「心もとなき日かず重なるままに、
白河の関にかかりて、
旅ごころ定まりぬ。
 『いかで都へ』と、たより求めしも、
ことわりなし。
 中にも、この関は三関の一にして、
風騒の人、心をとどむ。
 秋風を耳に残し、紅葉を俤にして、
青葉のこずゑ、なほあはれなり。
 卯の花のしろたへに、
いばらの花の咲きそひて、
雪にも越ゆる心地ぞする。
 古人、冠を正し、衣装を改めしことなど、
清輔の筆にもとどめ置かれしとぞ。
卯の花を 
  かざしに関の 
     晴着かな 
             曽良 」


 奥羽への入り口に来て、
心躍る様が、力ある文章で表現されている。
 つづく。


裏見はできぬ今の滝!

2021-11-26 15:30:26 | 日記
令和3年11月26日(金)
 どこまでが事実で、
どこまでが想像なのか?
 これもまたよしかな?
 師匠の追究!
 「私の詠んだ芭蕉の伝記や研究書でも、
事実を求める本を読むと釈然としなくなり、
面白さが半減する。
 そういう読み方ではなくて、
表現や文章の勢いを鑑賞するほうが楽しいし、
それを芭蕉は本意とすると思う。」
と。 
 山奥へと歩いて行くと、
裏見の滝というのに、出合う。
 滝の裏側から初夏の景色を見て、
一句。
暫時(しばらく)は 
  滝にこもるや 
   夏(げ)の初(はじめ)

 夏(げ) とは夏の初めに九十日間、
念仏や滝に打たれて修行すること。
 実際に籠もったのではないし、
滝に打たれたのでもないが、
その心意気を覚えたというのである。
 長年の私の願い出合った「裏見の滝」も、
芭蕉のお陰でたっぷり愉しむこともできた。
 裏見は、今はできないが・・・。