貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

喜寿の記念:「ときめき』を礎に美の追究!

2022-03-31 14:28:15 | 日記
令和4年3月31日(木)
 平成の満了時に、
二度目の奥の細道の追走を果たして、
足かけ四年が旅人のように過ぎ去った。
 その4年前のときめきがきっかけ!
 再度紐解いた。

ときめき

朝日を見て ときめき
三日月を見て ときめく

初めての出会いに ときめき
未知との出合いに ときめく

ぼうけん ボーケン
温めていたものに ときめき 
描いた夢に ときめく

夕日に 風に 
虫に 花に 
月に 雲にときめき
近頃は、立ち枯れたすすきや
葦にも
ときめきは ひろがり 
ひろがる
私の中の もろもろにも・・・

ときめきのある日々を
ときめく感情や思いを
日々の山川 海浜 人々の歩み、
少しばかりの 私の歩み

再度味おう
ゆったりと 味わっていよう

バショウ ばしょう
奥のほそ道
古稀からの より道
ときめきを
つなぐ 愛車の旅
再度振り返って・・・
ゆったり味わおう!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ということで、『奥の細道』へ。
 俳句、俳文中心に
日本語の美を追い求めることに!
 喜寿の記念!!!





美しい日本語に遊ぶ愉しさ!

2022-03-29 14:31:48 | 日記
令和4年3月29日(火)
 さて、芭蕉を魅了した古典世界は
『荘子』だけではない。
 「西行の和歌における、
宗祇の連歌における、
雪舟の絵における、
利休の茶における・・・」
(『笈の小文』)という具合に、
虚の世界が
実の世界に接触したことから、
美の世界を現出したという。
 芭蕉は、
「言語は虚に居て、実をおこなふべし。
実に居て虚に遊ぶことはかたし」
   (『風俗文選』)ともいう。
 虚実は、
不易流行という言葉で深化された。
 こういう美の世界の議論になると、
芭蕉は荘子を乗り越えて
新しい世界に入って行ってのだ。
 言ってみれば、芭蕉は、
中国の偉人の教えを受けながら、
日本の文学、俳句の世界で
師の世界を美しく完成させたのだ。
と、師匠は完結している。 
 我が師匠の教示、
「芭蕉から教えられた、
美しい日本語の世界に遊ぶ楽しみを
誰かに分けてあげたい。」 
に共感。
 多大の影響を受けて、
我が師加賀乙彦氏の芭蕉論を
完とす。
 これから、再度見直し、
写真を入れながら手直しを!
 喜寿の記念として、
『我が師への寄り道 芭蕉の古径』(仮題)
まとめることに。
 ここまでのお付き合い、
心より感謝し、御礼申し上げたい。
 ありがとうございました。
 ブログも、今少し続けていきます。
 これからのご支援、ご指導もまた
お願い致します。

                                


髑髏の世界が美の世界、風雅の誠!

2022-03-28 16:19:39 | 日記
令和4年3月28日(月)
 荘子の哲学は、
説話によって表現されている。
 その散文の世界は
、世の中の常識をひっくり返して面白いが、
美の観点から言うと、
まだるっこくて、
冗長であるとも言える。
『荘子』は、言葉の美という観点からは、
芭蕉によって糾弾されるべき存在である。
 はっきり言って、
『荘子』には、簡潔な文章を目指し、
そういう文章の美を創出することに
人生を賭ける気概がないとも言える。
 ところが、芭蕉は、
俳諧の美の世界を生涯の到達領域と
見定めていた。
 虚実を含めた美の領域が
彼にとっては生涯の到達点であり、
それを達成できるならば
死も望むところだという気概が
彼にはある。
 それが、『荘子』の
無常迅速、
百骸九竅、
行き倒れの髑髏に出合って、
芭蕉を奮い立たせたとも・・・。
 荘子の考えが目指した
髑髏の世界が、
芭蕉にあっては、
美の世界になり、
風雅の誠となった。
 これを言い換えると、
荘子の哲学に動かされて
髑髏の世界を理想として
導かれた芭蕉は、
哲学を美学に延長して、
俳句、俳諧の礎になったと
言い換えてよい。


芭蕉の独創に着目!

2022-03-27 15:43:23 | 日記
令和4年3月27日(日)
 ここで、師匠は一服。
 芭蕉と荘子の関係について、
気になったことを考えてみよう、と。
 芭蕉は、荘子の思想から
大きな影響を受けた。
 なるほど、芭蕉は、
日本では偉大なる中国人の思想家の影響を
受けた日本人であると言える。
 しかし、それだけだろうかという
疑いが、私の心に生まれてきた。
 芭蕉の俳句や文章の研究書を読んできて、
芭蕉がいかに深く『荘子』を読み込み、
自分の生活から、
人事から、
句作から、
文章について影響を受けたことは
間違いない事実だ。
 その事実を確かめるために、
大方の研究書を私は読んで、
なるほどと納得したのだが、
大方の「解説」がその影響の事実を
確かめると、それで安心してしまい、
芭蕉の独創や作品の美について
探求をやめてしまうのが
不満だったのだ。
 芭蕉は荘子の哲学の影響を受けた。
 しかし、生活の方途や宇宙観や
自然観において影響を受けながら、
こと芭蕉創出した
俳句と紀行の領域では、
彼の独創をしっかりと守ったと思う。
~つづく~


金、名誉、富貴を望まず、俳諧の道一筋を!

2022-03-26 14:17:15 | 日記
令和4年3月26日(土)
 道を知る者は、知識として、
宇宙や自然の巨大さを知るだけでなく、
仙人のように浮世を捨てて、
貧乏暮らしをし、
俗人とはなるべく付き合わないという
孤独な生活を理想としている人である。
 私の想像するのは、
『荘子』の描いてくれた仙人のような人
であるが、
より映像として迫ってくるのは
芭蕉の生活である。
 俳諧の巨匠としての彼の生活は
質素で、ぼろ屋のような芭蕉庵に住み、
時々文無しで旅に出ては、
自然や農民の生活や
動物や山野や海やと、
俳句の元になるこの世界を、
句の高みに示すことであった。
 彼は、名誉や富貴を求めず、
全くの貧乏暮らしで、
ただただ俳諧の道を進んでいき、
それで満足していた。
 そして、芭蕉は、
繰り返し『荘子』を読んで、
句を鍛えたのであった。
 時の俳諧宗匠のように
金持ちの弟子を大勢かかえて金を儲け、
有名になって名誉を示すということを
一切しなかった。
 同時代に有名であった宗匠達が
滅びたのに、
芭蕉は永遠の俳人として生きている。