難所超え、北国の宿! 2021-12-29 16:43:29 | 日記 令和3年12月29日(水) 親知らず子知らず、大戻り、駒返しなど北国一の難所を越えて、宿に泊まれば、新潟の遊女二人が同宿していて、若い女の声での会話が聞こえる。 芭蕉は大いに同情するが、遊女二人が一緒に行きたい、お供したいと言うのを断った後も哀れさに胸を痛める。一家(ひとつや)に 遊女も寐たり 萩と月 宿の庭の萩と空の月とは、遊女と芭蕉の、よく似た流浪の生活に相応しいか・・・。
最高の名句! 2021-12-27 16:24:49 | 日記 令和3年12月27日(月) 息子のところへ。 嫁さんが出産のため、1月3日に入院予定。 双生児の出産という有り難い予定。 二人ともすくすく育ち、すでに2200gと2300gに成長という。 もう自分で靴下も履けないというお腹の成長。一気に五人家族に増える予定。 来年は筑波へ行ったり来たりかな。 さて、芭蕉はいよいよ北陸に入る。 酒田の友人たちと袂を分かち、北陸道を遠くに認めた。 加賀の金沢まで 130里だそうだ。 まず、鼠の関(ねずのせき)(出羽と越後の国境の関)、 ついで市振の関(越後と越中の国境の関)。 ここで、突然『おくのほそ道』最高の名句が飛び出す。荒海や 佐渡によこたふ 天河 新潟へ行くたびに、この句を思い起こし、海と佐渡の島と天を眺むる習慣もついて・・・!
憾むが如し象潟!大好きな処 2021-12-24 15:24:41 | 日記 令和3年12月24日(金) 私の大好きな象潟! 芭蕉のお陰である。 当時象潟は、松島と並ぶの景勝地であったが、文化元年(1804)の地震で陸地になってしまう。 芭蕉は象潟に舟を浮かべ、能因法師の隠棲した島に行き、 ついで、西行が「象潟の桜は、波に埋もれて花の上漕ぐ 海士の釣舟」と詠んだ老い桜が、残っているのを見る。「松島は笑ふがごとく、象潟は憾(うら)むがごとし。 寂しさに悲しみを加へて、地勢刀魂をなやますに似たり。(その土地の趣が人の魂を悩ますに似ている。)」象潟や 雨に西施が ねぶの花 象潟の趣は、雨に濡れている合歓の花のよう、すなわち哀愁をたたえて、目をつぶっている西施のようである。
暑さも海に!壮大な作句!!! 2021-12-23 14:46:11 | 日記 令和3年12月23日(木)暑き日を 海に入れたり 最上川この句、最初は、涼しさを 海に入たり もがみ川であった。 六月十五日の今日は暑い一日であったが、夕方になって涼しくなる。 まるで、日を最上川が海に入れてくれたかのようだ。 全く奇抜な発想で吃驚する。 ほんと、壮大というべき作句!!!
出羽三山登頂! 2021-12-22 15:46:19 | 日記 令和3年12月22日(水) 六月三日、羽黒山に登る。 佐吉なる染め物業者が芭蕉に入門する。 四日、ある寺で俳諧興行。 八日、月山に登る。 氷雪を踏んで頂上に到達。 日没して月が昇る。 頂上で眠り、日の出の時、雪が消えたので、下山。 芭蕉は結構な健脚である。 湯殿山に下る。 羽黒山、鶴ヶ丘(山形県鶴岡市)と来て、酒田の医師の家に泊まる。 ここで、最上川を夕方に見て、一句。暑き日を 海に入れたり 最上川この句、最初は、涼しさを 海に入たり もがみ川であった。 つづく。