貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

岩沼市: 武隈(二木)の松① 「武隈の松」 初出の歌と公園!

2024-12-31 13:59:21 | 日記
令和6年12月31日(火)
 令和6年も余す時もわずか!
 今年もたくさんの方に
愉しんで(?)戴き、
元気に続けることができました。
 「いいね」等励ましの言葉を
戴き、その原動力になりました。
 本当にありがとうございました。
 巳年も
変わらずよろしくお願い致します。
岩沼市: 武隈(二木)の松      

 平成元年、
岩沼市は
「奥の細道紀行300年」
を記念して、
歌枕「武隈の松」の地を
二木の松史跡公園
として整備する。
 公園の広さは
620平方メートルほど。
 公園の入口前には
名松「武隈の松(二木の松)」
が聳えている。
<武隈の松>

 その脇に、
藤原元善(良)朝臣と
橘季通の歌碑が建っている。
<歌碑二首碑>

 藤原元善の歌は、
文献上、
「武隈の松」
初出の歌として知られている。   
「うゑし時 
  ちぎりやしけむ   
   たけくまの 
  松をふたたび 
   あひ見つるかな」
        (後撰和歌集)
 橘 季通の歌は、
「堂希九万(たけくま)の 
  松八二木越(を)   
   美屋古人
  い可ゞと問八ゞ 
   み起とこたへ舞」             
      (後拾遺和歌集)

「武隈の松は
  はふた木を
   都人いかがと問はば
    みきとこたへむ」
ということ。
<この説明>

~つづく。
よいお年をお迎えください!

名取市: 道 祖 神 路 昔は笠島塚という道標が今は道祖神路!

2024-12-30 15:26:57 | 日記
令和6年12月30日(月)
名取市: 道 祖 神 路            
 館腰神社神社の近くに
「道祖神路」
があるのだが、
 その石碑は?
 1歳ぐらいの男児が
庭でお母さんと遊んでいるので、
訊ねる。
 「隣の人が地元の方なので・・・。」
と紹介される。  
 お隣を訊ねると、
気のいいおじいさんが、
「その曲がり角だよ。」
と教えてくれる。

 碑は、
館腰神社のすぐ前を通る
奥州街道(旧国道4号線)を
南に約400m下った、
川内沢川にかかる橋の
すぐ南に立っている。

 別名
「芭蕉の句碑」・「笠島塚」・
「芭蕉塚」
とも呼ばれている。
 碑の正面に大きく
「道祖神路」
と刻まれ、
北面に道祖神社や
中将藤原実方の由来、
碑建立の趣旨が説明され、
道祖神社・名取川・仙台城下
への距離が刻まれている。

 道標である。 
 南面には、
「笠島は 
  いずこ皐月の 
   ぬかる道」
と、
見事な筆跡で芭蕉の句が
刻まれている。

 安政3年(1856)に
仙台の小西利兵衛と地元の人々
によって再建されたものらしい。

 それ以前は
「笠島塚」
と言われる道標があったと
伝えられているという


名取市: 館腰神社と弘誓(ぐぜい)寺町を一望!

2024-12-29 14:59:28 | 日記
令和6年12月29日(日)
名取市: 館腰神社と弘誓(ぐぜい)寺    
 弘仁2年(811)に、
弘法大師(空海)が
京都伏見稲荷社分霊したことに
由来。
 日本三大稲荷のひとつ
といわれる岩沼市の
竹駒神社の姉神として
崇敬されている由緒ある神社。
<館腰神社社殿>

 奥州街道沿い
館の腰といわれる山の麓に近い
ところに鎮座することから、
「館腰神社」と呼ばれる。
<神社の由来>

 倉稲魂神(うかみたまのかみ)、
猿田彦神(さるたひこのかみ)、
大宮姫神(おおみやひめのかみ)
を祭神としてお祀りしているという。
<弘誓寺仁王門>

<町を一望できる本殿>
<本寺の説明>

 芭蕉句碑は見当たらず!

岩沼市竹駒神社②武隈の松を詠んだ芭蕉の句碑と名月塚碑!

2024-12-28 14:12:15 | 日記
令和6年12月28日(土)
岩沼市竹駒神社②

  目指す芭蕉の句碑は、
意外にも黒の鳥居を潜った
すぐ右手にある。

 細長い石碑が二基並んでいるが、
左側が
「芭蕉翁」と記されている。

 脇に立つ札に
碑の説明書きがあるが、
二つの碑は、
寛政5年(1793)
芭蕉の百年忌法要を記念し、
建立される。
 句は、
武隈の松を見て詠んだ句で、
「佐くらより 
  松盤二木を 
    三月超し」
「櫻より 
  松は二木を 
    三月越し」
である。
「むさし野は
櫻のうちにうかれ出て、
武隈はあやめ  
ふく比(ころ)になりぬ。
かの松みせ申せ
遅櫻と云けむ擧 
白何がしの名残も
思ひ出てなつかしきまゝに」
と、
『奥の細道』には記されている。
 右側の碑は、
芭蕉の門人 東龍斎渡辺謙阿の、
「名月塚」
といわれる句碑で、
<名月塚>

句は、
「朧よ里 
  松は二夜の 
   月丹こ楚」
である。
 二木の松への道案内も
彫られている。
 これも珍しい。


岩沼市: 竹駒神社①複雑な由緒!

2024-12-27 15:13:29 | 日記
令和6年12月27日(金)
岩沼市: 竹駒神社①               
 二度目の参拝!
<表参道鳥居>

 竹駒神社は、
宮城県岩沼市中心部にある
稲荷神社である。
<石の鳥居>

 別名竹駒稲荷とも呼ばれ、
旧称は武隈明神。 
 日本三大稲荷の一つ?  
毎年正月三が日には、
陸奥国一宮の鹽竈神社と
東北地方で一、二を争うほどの
初詣客で賑わう。
<随神門(楼門)>
<その説明>

 社伝では、
承和9年(842)、
小野篁が陸奥国司として赴任した際、
伏見稲荷を勧請して創建する。 
<唐門>

 後冷泉天皇の治世
(1045~1068年)に
陸奥国を歴遊中の能因が、
竹駒神社の神が
竹馬に乗った童の姿で
示現したとして、
当社に隣接して庵を結ぶ。    
 これが後に
別当寺の竹駒寺となる。
 明治政府の神仏分離により、
明治2年(1869)、
竹駒寺は少し離れた
現在地に移転。
 その際、
国家神道の流れの中で、
明神思想に基づく
武隈明神が否定され、
それ以降、
稲荷神が主祭神とされる。

 明治7年(1874)、
竹駒神社は県社に列格する。
 かつての社殿は、
1710年に
仙台藩の5代藩主伊達吉村によって
造営されたもの。
 市の文化財に指定されたが、
平成2年(1990)11月21日未明、
革労協の放火により焼失。 
 現在の建物は、
平成6年(1994)に
再建されたもの。

 「竹駒」という社名は、
現岩沼市域の旧称
「武隈」の転訛であり、
もともとは、
市内を流れる阿武隈川に
由来するといわれている。
<境内にある「おくのほそ道碑」>

 ~つづく。