令和6年3月16日(土)
美濃加茂市太田宿: 祐 泉 寺
川沿いにある整備されたお寺。
川沿いにある整備されたお寺。
寺伝によれば、
文明6年(1474)に
大道真源が湧泉庵という寺を
建立したことに始まる。
<本堂>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/14/b4e1bb9d10f5eb3bc1f9d21da59a4e57.jpg)
16世紀の初め、
八百津の大仙寺の末寺として
祐川庵と称し、
17世紀後半(寛文年間)に
現在の祐泉寺と改称する。
白砂が波状に整美された庭に
白砂が波状に整美された庭に
芭蕉句碑。
<芭蕉句碑>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/05/d91720ba7176f92aa7c2b0b73e968186.jpg)
芭蕉の門弟となった
脇本陣3代目の林由興(冬甫)が
師を悼んで建てる。
句は、
「春なれや
「春なれや
名もなき山の
朝かすみ」 。
太田の地で生れ育った
太田の地で生れ育った
明治の文豪坪内逍遙が
述懐の念をこめて詠んだ
「椿の歌」の碑、
<生誕地の坪内逍遙の歌碑>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/4c/f75efa7213d4915a712e1e5d349d7cdd.jpg)
北原白秋が祐泉寺を訪れ
茶席でしたためた歌碑もある。
逍遙の歌碑は珍しい。
逍遥の歌は、
「山椿
さけるを見れば
いにしへを
幼きときと
神の代を思い」 。
<北原白秋の歌碑>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/90/03aff95c0cd2ba0e0b261b14d67e9933.jpg)
白秋の歌は、
「細葉樫
秋雨降れり
うち見やる
石灯籠の
あお芽いろ」。
住職は
住職は
「咲いた花より
咲かせた雨・
土を思え」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/1e/cd2bd178d7e1d1c94650ba58ed9752ab.jpg)
と説諭する。