戸田氏鉄という武将
平成31年4月22日(月)
昨日は、ほんと、久し振りに
2万2千7百6十5歩も歩く。
16.25㎞もも歩いたことに。
今朝はちょっとだるいが、いつ
もの歩行禅も実施。
昼寝もちょっとするかな?
そして、大垣の締めくくり。
大垣城に。
大垣城は美濃守護・土岐一族の
宮川吉左衛門尉安定により、
天文4年(1535)に創建。
関ケ原の戦いでは、西軍・石田三成
の本拠地となり、その後、戸田氏が
十万石の城主となる。
明治まで太平の世が続く。
昭和11年(1936)に国宝に指定
されたが、昭和20年(1945)7月
戦災で焼失。
昭和34年(1959)4月、4層4階
の天守を再建し、名実ともに城下町
大垣のシンボルとなる。
さて、大垣城をバックに大垣公園
には、騎馬像がある。
戸田氏鉄公騎馬像だ。
天守閣を仰ぎ見るような場所に
建っている。
ちなみに、戸田氏鉄は、徳川家康の
近習として仕えた徳川家の家臣。
近江膳所(ぜぜ)藩主、摂津尼崎藩主
から、美濃大垣藩の初代藩主となる。
大坂夏の陣は近江膳所藩主として参
戦。騎馬姿はバリバリの戦いの姿。
戦いに強い三河武士を想像できる
力強さを表現している。
大津市の膳所(ぜぜ)城跡は、
琵琶湖の畔に残っている。
そして、大垣の初代藩主、
何か芭蕉と縁がありそう?(ないが)
大垣藩の歴代藩主戸田氏を祭る
神社が、常葉神社。
秋に行われる「十万国まつり」は、
この神社の祭。
大垣に俳諧の文化が花開いた背景には、戸田侯による往時の治世の安定もあったのでしょうね〜。
週末に訪ねた蕉翁「青松葉」の句碑は、雑木林のただなか、無住の寺院の片隅にありました。
寺院も廃寺となり、開発の手も伸びる現代の世相。句碑の保存はもちろんのこと、死の床についてなお「青松葉」句を推敲せんとした、蕉翁の思いをこそ、次代に遺していきたいものと、思ったものでした。
それではまた〜♫
常ならぬ思いに浸って来られ、佳き週末になりましたね。
今、寺なども跡継ぎや経営、そして寺離れなどいろんな問題を抱えているようです?
句碑は、場所を移してでも残してほしいですね。
私は、滝も大好き。半日ぐらいいる時もあります。滝で泳いだことも・・・。
若いというのは、ほんと華、青松葉です。