貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

石山寺と那谷寺

2019-01-31 08:49:16 | 日記

石山寺と那谷寺、大津市と小松市?

平成31年1月31日(木)

 1月も流れ去る。余波雪降るか?

「那谷寺開創千三百年大祭が、平成29年

に行われたよう。

「自主山厳屋寺」から「那谷寺」へと改名。

 南北朝時代に戦乱に巻き込まれ、

荒廃した。

 近世に入って加賀藩藩主前田利常が

再建。

 この時の大工は気多大社拝殿を建てた

のと同じ山上善右衛門である。

 前田利常は、江沼郡の大半を支藩の

大聖寺藩に分置したが、この那谷寺が

ある那谷村付近は自身の隠居領とした

ため、その死後も加賀藩領となった。

(後に領地交換で大聖寺藩領となる) 

 芭蕉は、分かりやすく、的確に奥の

細道に著し、大津の石山寺の奇岩を

引き合いに出し、句を編む。

 私は石山寺の山門近くに下宿した

ことがあるので、本当に縁の先人

という感触も増幅す。

 翁塚として、奥の細道の記載と句碑を

整え、尊崇していることは「自然」の理

に適っている。

 前回は、景勝の奇岩にまで這うように

していき、参拝。

 紅葉を堪能したが、今回は胎内くぐりに

留める。

つづく。


当山に凝縮!

2019-01-30 08:47:06 | 日記

当山に凝縮!

平成31年1月30日(水)

 長かった正月ももう晦日。

 今朝は、小松市へ。

 初回訪問は、此の山に最高の感銘を

受けた。

 那谷寺再度の参拝!

 藤の花が出迎えてくれる。

一の鳥居。

 奥の細道では、

「山中の温泉(いでゆ)に行ほど、

白根が嶽跡にみなしてあゆむ。

左の山際に観音堂あり。

花山の法皇、三十三所の順礼

とげさせ給ひて後、大慈大悲の

像を安置し給ひて 、那谷と名付

給ふと也。

 那智・谷組の二字をわかち

侍しとぞ。

 奇石さまざまに古松植ならべて、

萱ぶきの小堂、岩の上に造りかけて、

殊勝の土地也。」

と著し、

 「石山の 石より白し 秋の風」

という句を添える。

 山門・神門か。

 詳細は寺伝。

それによれば、養老元年(717)、

泰澄法師が、越前国江沼郡に

千手観音を安置したのが始まり

とされる。

 その後寛和2年(986年)花山

法皇が行幸の折り岩窟で輝く

観音三十三身の姿を感じ、求る

観音霊場三十三カ所はすべて

この山に凝縮されるとし、

西国三十三観音の一番「那智」と

三十三番「谷汲」の山号から

一字ずつを取り、

「自主山厳屋寺」から「那谷寺」へ

と改名。

 この広さ!

つづく。


縁 深し!が、不発!!

2019-01-29 10:54:58 | 日記

縁 深し!が、不発!!

平成31年1月29日(火)

 さあ、この混雑の中、

芭蕉の句碑探し。

 百数十という出店を見ながら、

参拝客や出店の食べ物を楽しむ

人の群れをかき分け、境内を探索。

 石碑は多かれど・・・? 

 

 取りあえず、西新井大師の由緒?

 弘法大師、別名空海が関東巡錫の

途中、西新井を通った際、観音菩薩

の霊託を聴き、本尊の十一面観音を

彫り、天長3年(826)に寺院を

建立したことに始まるという。 

 本堂は昭和41年火災により焼亡。

 昭和46年に再建される。 

   

 川﨑大師などとともに「関東三大師」

の一つで、毎年の初詣は本当に賑わう。

 地元での愛称は、「お大師様」。

 

境内には、弘法大師によってもたら

されたとされる加持水の井戸がある。

 この井戸が本堂の西側に所在する

ことが当地の地名である西新井の

名の由来とされている。

 中野区にある新井薬師と同じ真言宗

豊山派の寺院。

 薬師のある新井小学校に奉職し、

子どもたちとよく遊んだ所。

 西新井大師は正式名「五智山遍照院

(へんじよういん)總持寺」。

 総持寺は、鶴見の総持寺が総本山。

 鶴見の総持寺の近くに奉職したことも

あり、ここも参拝より遊びに行った場所。

 皆、私の若さ溢れる頃の懐かしい寺社。

 西新井大師が初めてのような気がしない。

 縁深し!結縁、尊縁の一日。

 巫女さんに聞くと、

 この近くに芭蕉の句碑があるという。

 血眼の探索も不発に!


嬉しさ百万倍の日

2019-01-28 08:50:22 | 日記

嬉しさ百万倍の日

平成31年1月28日(月)

 結婚式から披露宴までの写真が

ラインで送られてくる。

 ほとんど撮ることができなかったので、

嬉しさ万倍。二人の幸せで、格好いい

姿を再現され、嬉しさ十万倍。

 そこへ、大学の研究室同窓の仲間から

分厚い手紙と老舗の和菓子が届く。

 手紙は、先日送った自家製の、

『ぼくの細道 芭蕉の古道』の感想等々

学生時代からの彼の看取りと、

読み取りが記してある。

 私の歩んだ道を時程を整理、付記して

ともに追体験してくれた。

 流石!

 彼の誠実な読み取り方は、沈着冷静な

その人なりの読み取り方。

 拙い私の記録文を、これほど誠意をもって

・・・、と思ったら・・・。

 感謝感激と万倍の意欲を鼓舞された。

 そして、38歳の自分の相撲を磨いた

玉鷲の初優勝と第二子誕生!

 歓びは歓喜! 百万倍の一日をなる。

 今朝も、足立区へ。

 西新井大師(総持寺)参拝。初詣!

 東武大師線「大師前」駅から歩いて

すぐの場所にあるのだが、初詣の人で、

駅前から道いっぱいに整列。

 回り道を使い、警察官の指示で

整然と進んでいく。

 一時間以上掛けて、やっと境内に。

 

 明治神宮の初詣以来だが、こちらは

出店もいっぱい。

 三日目の午後というのに、この人出。

 やっと三重の塔が見え、人越しに撮影。

 本堂に上がれたのは、その十数分後。

 それぞれの家の安寧と息子夫婦の二世

の安産を祈願し、本堂片隅のお神籤を

戴く。

 

 開くと、「大吉」。

 「楽」の太字が目に入る。

 祈願が叶っているよう。  

 それから、芭蕉の句碑探し。

つづく。 


感無量のひとときはまた安養!

2019-01-27 09:11:48 | 日記

感無量のひとときはまた安養!

平成31年1月27日(日)

 昨日は、柏で息子の結婚式と披露宴。

 6時20分頃家を出発。小作より立川、

西国分寺、新松戸で常磐線に乗り換え、

柏着。8時30分。

 6月に籍を入れ、暮らしをともにし、

昨日お披露目となる。

 皆、二人で関係の方々と緻密な打ち

合わせ、配慮の行き届いた一日となる。

 私は親の役目を果たすだけ。

 両家の親を、本当に尊重する二人で、

恩返しもしてくれた。

 お世話になった人たちにも行き届いた

おもてなしを、二人なりにしているのにも

流石!

 二人三脚の力と真摯で誠実な二人の力、

そして二人の二世のはらむ歓びが、

感無量の世界へ両親を導いてくれたよう。

 本当に親孝行で優しい新郎・新婦だ。

 参加してくれた皆さんも、特に、

親族が「ほっこりした、あったかい

ひとときをありがとう!!」

と、歓んでくれたことも・・・!

 私たちはこれから更なる子ども孝行と

孫孝行へ勤しむことになるのかな?

 今朝も足立区千住に。

 安養院は、もと千住元町にあり、

鎌倉時代北条時頼が創建したと

伝えられ、西林山長福寺と称した。

 慶長3年(1598)兵火の災に遭い、

現在地に移り、真言宗西林山長福寺

安養院と改めた。

 本尊は、金銅仏の阿弥陀如来で、

鎌倉末期のもの。

 中興開基第1世は賢智上人で、

北条氏の臣高梨氏の出身である。

 以来歴代の住職と檀家の努力で

幸運栄え、江戸末期から明治初期に

かけては真言密教の檀林となり、

多くの仏弟子を世に送った。

 現在の本堂は、大正12年、第22世

良道僧正によって再建されたもの。

 芭蕉句碑は、

「ゆく春や 鳥なき魚の 目は泪」

 

 境内には、観音堂もあり、

 かんかん地蔵と呼ばれる石地蔵は、

石でかんかん敲くと願いが叶うという。