貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

矢立始め 大橋芭蕉公園?

2020-12-14 14:17:10 | 日記

矢立始め 大橋芭蕉公園?

令和2年12月14日(月)

 午後から冷えてきた。

 雪が降りそうな冷たさ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「奥の細道」600里の旅の始まり

の句を詠んだ場所

<矢立初めの地>

に建てられた記念碑が、真正面に見える。

 千住大橋公園である。

   元禄2(1689)年3月、

芭蕉は、弟子の曾良を伴って深川

(江東区)から船で遡上して千住

(足立区)に降り立ち、陸奥へと

旅立った。

 「千じゆと云所にて船をあがれば

前途三千里のおもひ胸にふさがりて

幻のちまたに別離の泪をそゝく

「行春や 

  鳥啼き魚の 

    目は泪」  

と、旅立ちの地である千住の情景

が記されている。

 碑の背面には、芭蕉のことと

当時の千住のことが説明されている。

 また、

公園には、「おくのほそ道行程図」や、

紀行文と芭蕉らの出立の様子が

描かれた屏風絵が掲示されている。

  大橋芭蕉公園とでも名称替えしても

良い程?!


蕪村筆による芭蕉と曽良 そして生粋の北千住人

2020-12-11 13:05:56 | 日記

蕪村筆による芭蕉と曽良 そして生粋の北千住人

令和2年12月11日(金)

 水管橋を降りるとすぐ釣り船が一艘。

 壁に、

「おくのほそみち 旅立ちの地」

と太字で、その紀文がかかれ、

蕪村筆による芭蕉と曾良が描かれている。

  

 隣には、「千住大橋と荒川の言い伝え」

とか、「河川の移り変わり」

「潮待ち茶屋」のこと等、

板碑に河川の歴史が分かるように

記されている。 

 

 

                  

 千住大橋の全景が撮ろうと、

釣りを楽しむ人の方へ足をのばす。

 「この時期、何が釣れるんです?」

と挨拶。

 80代の男性と暫く歓談。

 4本の釣り竿を活かし、

「今のところハゼ二尾。」

と見せてくださる。

 天ぷらにするそうだ。 

 鰻やエイなども釣り上げるという。

    話し好きな方で、仕事の関係で

両足ががに股になったことや

釣った鰻は鮨屋に持って行くと、

歓んでくれること等気さく。

 生粋の北千住っ子!  

 区切りのよいところでお暇乞い・・・。


矢立初めと老い立て初め

2020-12-10 15:04:40 | 日記

矢立初めと老い立て初め

令和2年12月10日(木)

 昨日は一年ぶりの日本橋へ。

 三越日本橋店へ。

 家内は、二枚重ねのマスクをし、

私も常時マスクと手袋。車内は

全ての方無言の行。

 行き届いたものだ。

 拝島で乗る予定の西武新宿線の

急行を間違えてやり過ごす。

 そこから田舎人のトリップ開始。

 JRに乗り、神田まで・・・。

新宿で、前の電車にトラブル発生で

調査中となる。

 すぐ都営新宿線に乗り換え、大手町

から半蔵門線、やっと三越前に到着。

 9時55分。間に合った!!!!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 足立区千住大橋は芭蕉追従。

「通勤客や車は少ないだろう」

と思い立ち、急遽朝行く先を整理。

 足立区の北千住に絞る。

  8時前に、出発。お茶の水で乗り換え、

北千住駅で降車。

 隅田川を目指して歩くこと20分。

国道4号線の日光街道に出ると、

大橋が見えてくる。

 千住大橋は、隅田川にかかる橋で、

北岸は足立区千住橋戸町、

南岸は荒川区南千住六丁目。


  前回は車で来たのだが・・・。

 旧橋(下り方向)・新橋(上り方向)の

二橋で構成されており、旧橋の上流側に

東京都水道局の工業用水道専用橋である

千住水管橋がほぼ並行している。

 今修理中で、手前が水道管橋。

   最初に千住大橋が架橋されたのは、

徳川家康が江戸に入府して間もない

文禄3年(1594年)11月のことで、

隅田川最初の橋である。

 当初の橋は現在より上流200m

ほどの処にあり。

 当時「渡裸川の渡し(戸田の渡し)」

と呼ばれる渡船場があり、古い街道筋に

あった場所と推測。

  水管橋を降りるとすぐ釣り船が一艘。

 壁に、「おくのほそみち 旅立ちの地」

と太字で、その紀文がかかれ・・・・。


えっ、えっ、えっ・・・!

2020-12-07 16:35:14 | 日記

えっ、えっ、えっ・・・!

令和2年12月7日(月)

「えっ、ここが……?!」

「芭蕉の句碑なんてあるのかな?」

とにかく参拝が先!

  社殿に隣接して建てられている。

 ほんとに、あった!

 芭蕉句碑。

 それも初物の句。

「蝶の飛ぶ 

  ばかり野中の 

     日影かな」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  力士の 発光山権五郎関像と 

 

ショウガ祭が印象に残っている。


花○○花☆☆花🌸🌸

2020-12-05 13:57:51 | 日記

花○○花☆☆花🌸🌸

令和2年12月5日(土)

 予報は見事に外れ、朝は雨。

午後やっと止み、曇り空。

お日様は雲隠れ。寒し、冷たし!

 こんな時は、芭蕉!

「西行の 

  草履もかかれ 

     栢の露」 。  

 主監の「瀧見可屋」は、当時の

先々代の住職で、三世寛誉泰道大和尚・

俗名 瀧見泰道で、俳句に熱心で

八王子を代表する近代俳壇を代表する

ひとり。

 寺内に、

「涼しさや

  月下にならす

        花鋏」

の句碑。

 また、八王子鑓水の永泉寺

境内にも

「しばらくは

  夢のかりきる

       はな衣」

の句碑が建っている。 

 碑表の文字の執筆者「千秋庵」は

「新選俳諧年表」(大正十二年刊)

の大正八年の頃にみえる。

「鶴汀歿、二月十一日、享年八十六、

塩谷氏、名新吉、千秋庵瑞夢仙と

号す。美濃人」

と同一人物と考えられている。

 又「獅子門」とは美濃派とも言い、

蕉門十哲の一人各務支考の一派である。

  八王子市内の芭蕉句碑は、この他

「ひばりより 

  上にやすら 

     小峠かな」

(天保十一年建立、浅川老人ホーム内)

「先たのむ

  椎の木もあり

       夏木立」

(明治四十三年)建立、鑓水 永泉寺境内)

「しばらくは

  花の上なる

     月夜かな」

(建立年次不明、下恩方辺名)

「蝶の飛ぶ 

   ばかり野中の 

     日かげかな」

(昭和二十四再建、新町の永福稲荷)

などが知られている。

<文責 大東文化大学文学部教授 

萩原 恭男 昭和五十九年甲子十一月>

と詳細に記載されている。

可屋句碑は、

「涼しさや

  月下にならす

        花鋏」