貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

これぞ、遊行!

2022-07-29 16:27:17 | 日記
令和4年7月29日(金)
那須郡: 芦野の里:遊行柳  
   
 今回は、芦野の里にも着目し、遊行柳を
いろいろな角度から楽しむことにする。

「関東ふれあいの道田園風景百選」
の一つ。  



 「遊行」という語句に、
魅了されたのはいつ頃からか。  
 やはり二十歳頃かもしれない。
  
 今は思い切り遊行を楽しめる隠居の身。
 しかし、学生時代が一番それに
相応しい生活をしていたような・・・?

「遊行柳」は観世信光作の能の一つ。        
 遊行上人(ワキ)が従僧たち
(ワキツレ)を伴って、
白河関にやって来た時の話。
「一人の老人(前シテ)が現れ、
昔の遊行上人が通った古道を教え、
そこに生えている名木「朽木柳」に
案内する。

 老人は、昔、西行がこの柳のもとに
立ち寄って歌を詠んだ故事を教えると、
その柳の蔭に姿を消してしまうのだった。
 夜、一行が念仏を唱えていると、
老柳の精(後シテ)が現れ、
上人の念仏に感謝の意を述べる。
 老柳は、華やかなりし昔を恋い慕って
柳にまつわる様々な故事を語り、
弱々と舞を舞っていたが、
夜明けとともに、上人に暇乞いをして
消えてゆく。
 後には朽木の柳だけが、
そこには残っているのだった。」  
            
 
 いろいろな方角から「遊行柳」を眺め、
このひとときを楽しむ。
つづく。

一夜のうちに清水の湧出と雨とはなしの洪水!

2022-07-28 09:54:57 | 日記
令和4年7月28日(木)
 第17番 徳島市: 井 戸 寺   

 天武天皇の勅願道場として、
白鳳二年(673)開基。

 弘法大師が四国八十八ヶ所開創の砌、
当寺に留錫され、昼夜斎戒沐浴して、
八尺余り(約1.9㍍)の十一面観音菩薩を
刻まれた。
 貞治元年(1362)と天正十年(1582)にも
兵火により再び罹災したが、
万治四年(1661)に、蜂須賀光隆公により
本堂を再建。

 内陣中央に聖徳太子の作といわれる
主尊の薬師瑠璃光如来座像が安置され、
左右に三体の薬師像、
計七体の薬師如来像が並んでいる。
 「七仏薬師如来」の寺は全国でも珍しく、
男女厄除の守護仏として、
七難即滅、
七福即生、
開運厄除、
難病平癒
の霊験あらたかという。
 脇仏の日光・月光菩薩は行基の作とされ、
脇侍四天王四体、十二神将十二体とともに
威光を放っている。
 境内の中央に位置する「日限大師」は、
寺号の由来でもある伝説の井戸だ。

 大師が当地方の濁水なるを憐れみ、
錫杖にて一夜のうちに淸水を湧出させた。
 大師一夜建立の井戸として有名になり、
寺号を井戸寺と改めた。 

 降りしきる雨の中、年配の男性が話しかけ                    てこられる。

 息子や孫が全て公務員か教員であることや、
今孫が都庁に勤めている。
 東京は大阪より便利で私には過ごしやすい等                                            次から次への自分の子孫の話。
 一方的に聞くだけの立場となり、
雨で寒くなってくるし・・・。
 「すみません。ちょっと参拝をしますので・・・。」
と話し、本堂へ。
 話し上手か話し好きな人は、殆ど人の話                     に耳を傾けることなく、延々と・・という                     方が、本当に増えている。平素の会話が少                     なくなった影響かも知れない。
 話を打ち切って、ちょっと可哀想だたかな?


国境の明神の:白河の古蹟の主張諸説?

2022-07-27 11:27:17 | 日記
令和4年7月27日(水)
 奈良・平安の初期には、
国境の明神に、男女二神を祭る
のが通例だったようだ。
 この二神は、
内側は女の神様(玉津島明神)が守り、
外側は男の神様(住吉明神)が守る
という考え方

 上の写真の栃木側は、
『境の明神(玉津島神社)』と明記され
ているが、福島側からは こちらの神社は
住吉神社になるということだ。

 兎に角、境目はどちらでも紛争の種。
 解決策として苦肉の知恵かな。
 白河市の神社の境内には、
石碑群があり。
      
 その中に、芭蕉句碑。

「風流の 
   はじめや奥の 
      田植え歌」
 田植えの時季だったということが
分かる。                                               思楽句碑(本名は島谷栄吉、明治期に
活躍した福島の俳人・飛脚問屋)の句。 

卯の花や 
   清水のすえの 
       里つゞき
 大江丸の句は、

 能因に 
   くさめさせたる         
         秋はここ
 藤沢周平の『一茶』ゆかりの名前が
大江丸。
 江戸の通称は嶋屋佐右衛門。
 一茶に影響を与えた人だそうだ。    
 二所の関址には、松平定信が
この境の明神より東側・
東山道に白河古関の址を定めた後も
今も所在地に幾つかの説がある。

 この大きな石碑はその一つの証しだと主張。
  
 何ともいえず。              




下野と奥州の境に境の明神!

2022-07-26 09:32:33 | 日記
令和4年7月26日(火)
 那須と白河 :境の明神と玉津島神社 
 
 
 下野(栃木県)と奥州(福島県)の国境に並ぶ
二つの神社をあわせて
「境の明神」
と呼ぶ。

 古来より国境を往来する際には
両神社を参拝し、道中の安全を
祈願したといわれている。
 陸奥側(白河市)には、
玉津島明神(女神・衣通姫)、

下野側(栃木県那須町)には住吉明神
(男神・中筒男命)が祀られている。
 住吉神社のことを別名二所の関ともいう。

 二所の関部屋とちょっと関係ありそう・・・。
 国道294号線(陸羽街道)の峠に
あったが、見応えのある所。
 今少し文化財として一工夫して
ほしい処でもある。
つづく。

一刀三礼して彫像!

2022-07-25 09:02:02 | 日記
令和4年7月25日(月)
第16番 徳島市: 観音(かんおん)寺  

   第四五代聖武天皇の勅願道場として創立。

 弘仁七年(816)弘法大師巡錫の砌(みぎり)、
当山に滞留し、等身大の千手観世音菩薩像
を刻み、本尊として安置。

 脇侍に悪魔降伏の不動明王像、
鎮護国家の毘沙門天像を一刀山霊の
礼の誠を尽くして刻む。

 この寺も若い住職さん。
 いただいた札の一枚が風に飛んで
10㍍ほど舞っていく。
 心配されたかと、
「大丈夫です。すみません。」
謝ると、
「だいぶ飛ばされましたね。」
と笑顔。
 コロナ感染防止の換気に、
突風のお見舞い?