貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

我も、及び腰の柳かな?

2022-10-31 10:50:40 | 日記
令和4年10月31日(月)
仙台市: 保 福 寺             
    街道近くに二木の松があり。
 そこを左折すると、
杉が聳える杉並木の参道。

 ひとり詣での神々しさと涼しさを感得。

 新たに造られた本堂を参拝。

 よく整備され、閑静。  
 本堂前に、
「但(ただ)木(き)土(と)佐(さ)公邸屋敷門」
があり。

 本堂は、「但木土佐公邸」でもある。

 「保福寺」には仙台藩士但木土佐
(家老の家柄)の墓がある。
 戊辰戦争敗戦後、
戦犯首謀者として捕えられ処刑され、
一旦、
東禅寺(東京都港区)に埋葬されたが、
後に保福寺に改葬される。
 「保福寺山門」の右手前に
芭蕉句碑。

「卯の花や  
  くらき柳の  
    およひこし」
 ※垣根に卯の花が咲いている。
 白く浮き出ている卯の花に対して、
黒々と繁り濃い夏の柳が
及び腰のような恰好で枝を垂れている。
 庭前の景色。
 及び腰は、中腰で少し届きかねる距離に
あるものをとろうとする姿勢のこと。

 庭園では、
ゆったり過ごせるよう憩いの場所も
設定されている。


すべて 「花のあとかな」?

2022-10-30 11:11:27 | 日記
令和4年10月30日(日)
 一月十六日に天に召された学友を
偲んで、四喜寿の友と京都駅で待ち合わせ。
 福知山の自宅に弔問。
 お別れと深謝のお線香をあげさせて
いただいた。
 さばけたご子息のお嫁さんと獣医業を
生業とされた優しいご主人としばらく
友の思い出の話に咲いた。
 「やりきった一生」という印象を
さらに強くした。
 よき友に恵まれたのは、本当に宝物、
財産である。
 その後、4人で南郷温泉で一泊。
学生時代そのままの語らいで、
真から寛いだ!!!!
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仙台市: 吉岡八幡神社 
      
 仙台藩祖伊達政宗の三男宗清が、
居城を下草から吉岡に移したのに伴い、
元和4(1618)年に現在地に移される。
 黒川郡の総鎮守社とされる。
 社殿は本殿と拝殿とを石の間で
つないだ石の間造(権現造)で、
以前は宮城県指定有形文化財。
 しかし、昭和62(1987)年、
落雷で焼失し、平成元年に再建される。                                             
 随身門は、明和元(1764)年の建立。
      
 
 他の見どころとしては当地の宗匠に
よって立てられた芭蕉碑がある。

 碑面には、
「藤の実は 
  俳諧にせん 
    花のあと」
という芭蕉の句が彫られている。
  高さ1.7m程で、
横からは達磨に
、正面からは徳利にも見えるという
造形美のある自然石。
 寛政11年(1799)3月建碑。
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 実は、今朝、エンジンをかけようと
キーを回すと、うんともすんとも…。
「メインバッテリーが上がったのだ。」
 蕉道初めての車のトラブル。
 何でこんな時にと一瞬焦るが、
焦っても儘ならぬと、
取りあえず洗面等全て済ませ、
時を待つことに…。
 近くの車の方と出会ったので、
「バッテリーがあがちゃって?」
と言うと、
「接続器持ってますか。」と聞かれ、
「いいえ」。
 すぐ傍にガソリンスタンドがある
ことを教えて下さる。
 ガソリンスタンドにSOS。
「7時に店員が来たら行かせますので、
すぐ接続できるようしておいて下さい。」
とのこと。
 急いで、バッテリーのある所を調べ、
教えて下さった方にも御礼と報告をし、
待機。
 間もなくしてGSの職員の方が見え、
接続器でバッテリーを繋ぎ、
エンジンが復活。
私も復活。
御礼は、1500円。
 復活後暫くしてから、
その因となったことが閃く。
「昨夜、若者数名が近くで夜半まで会話。
駐車場所を移動する。
 速度計等が明るく、
何か変だなあと思いつつ…?
安眠。」。
 気付きも遅し。
 暢気なものだ。
 大いなる感謝の気持ちを抱き、
道の駅「おおさと」を出る。

 またまたよき方々に巡り会う
旅の始まり!



十符の菅(とふのすげ)、初物!

2022-10-25 13:47:51 | 日記
令和4年10月25日(火)
仙台市: 十符の菅(とふのすげ)  
 芭蕉没50年後、
『続奥細道蝶の遊』を著した俳人北華が
「塩釜へは、…原町、あんない、
びくに坂、今市…」と
道筋を記載している。
 芭蕉たちもこのルートを通ったと
思われる。
 但し、現在の道が当時の道と同じかは
不明。
 『奥の細道』には、
「かの画図にまかせてたどり行けば、
おくの細道の山際に、十符の菅あり。

今も年々十符の菅菰を調(ととの)へて、
国守に献ずといへり。」
と記されている。
 民家の庭先に、
今も往時を偲ばせる「十符の菅」が
栽培されている。

 十符とは、10の節の事であり、
この菅で編んだ菅菰(すがごも)は
きれいな模様が浮き出て
珍重されたとのこと。
 菅は近辺の湿地帯に一杯生えていたが、
この地のものが歌枕の代表となる。
曾良の備忘録に,
「百姓屋敷の内にあって、垣で囲ってある。 今も国主に菰を献じている。ここまでの道 は田の畔(くろ)で、奥の細道と言う」
と記されている。
初めて、十符の菅を見ることもでき、大満足。
 道の駅「おおさと」で一泊。



芭蕉の蓑塚あり、妙心院!

2022-10-24 14:10:35 | 日記
令和4年10月24日(月)
仙台市: 妙 心 院         
 新寺界隈は、仙台城から見て、
鬼門の位置にあたるために、
多くの寺院が集まり
寺町を形成している。 
 妙心院もその一つ。

 大きな総檜の山門が参拝者を迎えて
いる。

 山門の仁王像は、大変迫力がある
阿吽像。
 写真におさめる。

 
 当寺は、伊達政宗の乳母である
片倉喜多子の父が戦死した折、
正宗の母が喜多子の慰めに、  
1586年山形の長井に建立したのが
その始まり。

 その後、岩出山を経て現在の地に移る。   
 この寺院は喜多子の牌寺である。
 境内には稲荷堂があり。
 心休まる静かな禅寺という感じ。
 本堂前左手に建つ芭蕉翁蓑塚(右)と
芭蕉翁蓑衣塚銘。

 寛政7年(1795)建立。
 銘碑は黄檗宗万福寺の蒲庵禅師が
撰文したもの。 
 それによれば,
当地に浮月坊鉄船という医者の俳人がおり,
芭蕉が奥の細道の旅で着用した蓑を
脱いで置いていったものを所蔵。
 芭蕉蓑塚の説明碑
  
 それをここに埋めて建てた記念碑が、
「蓑塚」である。
 この下に、芭蕉の蓑が埋葬されている。



榴ヶ岡天満宮は句碑の林立、俳人の育成場所!

2022-10-23 10:03:30 | 日記
令和4年10月23日(日)
平成23年3月11日に
発生した東日本大震災により被災。
 御社殿の損傷が激しかったため、
修復工事を行う。
 二年半以上の歳月をかけて完了。

 平成25年11月24日に本殿遷座祭を、
翌日には本殿遷座奉祝大祭を斎行し、
本殿での祭祀が再開する運びとなる。
 平成27年3月10日、
芭蕉が訪れた当時の趣を残しているこ
とから
「つゝじが岡及び天神の御社」として、
国の名勝
『おくのほそ道の風景地』
に指定される。
 平成28年4月25日、
「政宗が育んだ伊達な文化」
のひとつとして、
文化庁が認定する
『日本遺産』
に登録された。

 平成29年7月25日に
榴ヶ岡の地に御遷座なされてより
三百五十年を迎える。
 平成29年の今年、
「御鎮座三百五十年奉祝」の年として、
様々な祭典や催しを実施している。
 芭蕉と蓮二翁の句碑がある。

 芭蕉の句は、
「あかあかと 
  日はつれなくも 
     秋の風」
蓮二翁の句は、
「十三夜の 
    月見やそらに 
        かへり花」

 境内の周囲には、
筆塚や
いろいろな時代の俳人の句碑が林立。

 確か二十数基の碑が祀られている。
 そのうちのいくつかを、
これも縁ということで紹介することにする。

 

 ここでは、句会が延々と催され、
優れた俳人が世に出たのだろう。
 今もなお、継続されているのだろう?