数ならぬ身と思いそ
令和元年12月26日
冬休みに入る。
今朝は、美空ひばりのAI。
新曲「それから」をAIの
美空ひばりが歌唱。
ちょっと感動もの。
森美術館でやっているという。
こちらも負けずに、愛染院。
故郷塚の手前右手に、
もう一基、芭蕉の句碑。
「数ならぬ
身となおもひそ
玉祭り」 。
元禄7年(1694年)芭蕉51歳
の作。
季語は「玉(魂)祭り」で秋。
『有磯海』(浪化編)に、
「尼寿貞が身まかりけるときゝて」
と前書きする。
「身まかる」は人が亡くなること。
寿貞は、芭蕉の庵で同居していた
尼さん。
ちょっと謎の人?!
「玉(魂)祭り」は、
陰暦7月15日に祖先の霊を
祭る仏事、盂蘭盆会のこと。
伊賀上野で盆会を迎え、
一族の人々と共に法要を営んだ
芭蕉が寿貞の死を悼み詠んだ句。
寿貞に関する資料は、
元禄7年5月以降の芭蕉の手紙
5通(内、遺書1通)と、
この追悼句1句のみ。
芭蕉の甥桃印の妻とする説、
など諸説あり。
5月11日、芭蕉が上方へ
旅立った後、寿貞は芭蕉庵へ
身を寄せていたが、6月2日頃
病歿。
旅中、寿貞の訃報に接した
芭蕉は、
「寿貞無仕合もの、まさ・
おふう(ともに寿貞の娘)同じ
く不仕合、とかく難申尽候。」
(同年6月8日付猪平衛宛芭蕉
書簡)と、その死を深く嘆い
ている。
「数ならぬ身となおもひそ」に、
芭蕉の寿貞の霊への悲痛な呼び
かけと、情愛を感じる。
「自分のことを物の数にも入ら
ない身だと決して思わなくて
いいよ。
どうぞ私の心からの供養を
受けてください。」
の意。
身となおもひそ
玉祭り」 。
終活を△仏に託し岡潔数学体験館に献句
数ならぬ
一なおもいそ
玉祭り
玉祭り △仏 お迎えす