故郷への慕情も涙雲
令和元年5月6日
次男として生まれた芭蕉
の生家である。
受付の50代の女性が、
いろいろと分かりやすく、
そしてちょっと文学的に
説明してくれる。
ちょっとゆったりした気分
にもなり、味わいも深くなる。
上がり口には、小型の芭蕉が
「いらっしゃい。」と出迎えて
くれる。
この家で生まれた芭蕉は、
29歳までここで過ごす。
それ以降、幾度か帰郷。
晩年の貞享4年の暮れ、この
生家で自分の臍の緒を見つけ、
亡き父母や郷土伊賀への慕情を
怺えきれず涙し、
「旧里や 臍のをに泣 としのくれ」
と詠む。
その句碑が生家前に建って
いる。
当時の生活を見事に再現した
この生家は、芭蕉たち家族の
暮らしぶりがよくわかる。
この土間の奥に、釣月庵がある。
また、「芭蕉瓦版」に、米国の
駐日大使キャロライン・ケネディ
さんが、「奥の細道」の芭蕉の句を
引用し、着任したことも掲載され
ている。
この一句、俳聖と顕彰される蕉翁の、あたたかい人間味を垣間見ることができますね〜。
「それにしても、小生、親孝行してないなー。しなきゃなー」と、我が身を振り返ったところです。
7日間、小田原から野ざらし紀行パートⅡへ。
令和富士の壮観さに惚れ直しました。
宝永火口が大好きで、昔よく登りました。
親孝行は、5歳までの可愛さでしているという説も・・・?
元気で活躍していることが一番の親孝行!
いくつになっても案じているのは親心だけど・・・、子は巣立って自立していくもの。
自然のまま、ありのままが私のやり方かな。