貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

松島 : 観 瀾 亭 大欅に「どんぐりころころ」の歌!

2025-02-05 14:37:48 | 日記
令和7年2月5日(水)
 松島 : 観 瀾 亭   
<観瀾亭大欅>
  
<その説明>

 観瀾亭は
文禄年中に
豊臣秀吉から伊達政宗が
拝領した伏見桃山城の一棟で、
江戸品川の藩邸に
移築したものを
二代藩主忠宗が
一木一石変えず
この地に移したもの
と伝えられている。
タチアオイ>

<観瀾亭松島博物館の説明>

 童謡「どんぐりころころ」は、
松島町出身の青木存義氏が、
文部省在職中の大正年間に
松島での幼き日を偲び
作詞したもの。
<「どんぐりころころ」の歌碑> 

 雄島へ向かう途中で、
歴史建造物・
地元の出身の歌碑
「どんぐりころころ」、
独特の形をした大欅、
そして、
○年過ぎてもまだ
復興中の様子等々
未知の遭遇!
<復興中だったなあ>

 芭蕉への感謝も募る
朝となる。
 そして、雄島入口へ。  
      


松島市: 松島湾島巡り よくぞ残った景観!

2025-02-04 16:59:06 | 日記
令和7年2月4日(火)
松島市: 松島湾島巡り         
 松島湾一周乗船前。 
 案内図を楽しみながら、
乗船する。  
 朝一番なので乗客もまばら。 
<松島湾一周のチケット> 
              
 五大堂近くの観光桟橋より出発。
 乗船券は千五百円。 
 大型遊覧船「第三仁王丸」だ。
<第三仁王丸>

 取りあえず、
窓側に場所をとる。
<出帆後の光景>
<何島かな?>
<絶景の船旅>

 毘沙門島、
大黒島等七福神命名の島を
見ながら甲板に出て、

カメラ片手に
船旅を楽しむことにする。 
<仁王島>


 鐘島、仁王島等見ながら、
「あの大地震による津波被害は、
ここまでで済んだのか、
よくこの景観を後世に残してくれた」
と胸を撫で下ろす。
<松島の形の多様>

 仁王島と
島唯一の小学校が印象に強く残る。
<松島を守る村落>
<唯一の小学校?>

 50分の遊覧船はあっという間。
 見事な松島の風景が残ったと
同時に、象潟も残っていれば・・・
等と
独りよがりの欲をかく。

松島市: 福 浦 橋 日台間友好の橋と復興中!?

2025-02-03 15:31:41 | 日記
令和7年2月3日(月)
松島市: 福 浦 橋                 
 道の駅「上品の里」を、
6時30分に出発。
 7時過ぎに、松島に到着。
 今回は、
松島湾一周も楽しもうと
目論んでいたので、受付へ。  
 9時発なので、
8時半に駐車場へ
入れば良しという由。
 駐車料金も高いので、
島の端っこで一休みする。           
 7時半頃から
福浦橋の風景を楽しむ。
<福浦橋>


 この福浦橋は、
台湾と松島町の友情の絆の橋
という説明。

 日台の架橋だ。
<日台間友好の橋と福浦島の説明>

 東日本大震災の影響は
人と人が結ばれることも多い。
 復興も未だ続いている姿も
垣間見る。
<復興真っ最中>

 福浦島は、
桜や多様な植物できれいだ
という話。


塩竈市塩竈神社③芭蕉止宿の跡・法連寺の跡もおもむきあり!

2025-02-02 14:06:26 | 日記
令和7年2月2日(日)
塩竈市塩竈神社③
 車で
神社の小山の周囲を回り、
「芭蕉止宿の地」へ行く。
<芭蕉止宿の跡・法連寺跡>

 法蓮寺の跡地だ。
<芭蕉止宿の跡「法連寺跡地」の説明>

「勝画楼」は、
藩主参拝時の御休み所で、
明治天皇の行幸の際も
使われている。
<御息所「勝画楼」>
<勝画楼句碑>

  芭蕉も、
宿の直ぐ近くだったので、
拝観したらしい。


塩竈市塩竈神社②『おくのほそ道』での塩竈神社の段!

2025-02-01 14:42:45 | 日記
令和7年2月1日(土)
塩竈市塩竈神社②

『奥の細道』には、
「早朝塩がまの明神に詣。
 国守再興せられて、
 宮柱ふとしく彩椽
 きらびやかに、
 石の階九仞に重り、
 朝日あけの玉がきを
 かゝやかす。
 かゝる道の果、
 塵土の境まで、
 神霊あらたに
 ましますこそ、
 吾国の風俗なれと、
 いと貴けれ。
 神前に古き宝燈有。
 かねの戸びらの面に
 文治三年和泉三郎寄進
 と有。
 五百年来の俤、
 今目の前にうかびて、
 そゞろに珍し。
 渠は勇義忠孝の士也。
 佳命今に至りて
 したはずといふ事なし。
 誠人能道を勤、義を
 守べし。
 名もまた是にしたがふ
 と云り。
 日既午にちかし。
 船をかりて松嶋にわたる。
 其間二里餘、
 雄嶋の磯につく。」    
と記されている。
 今風に直すと、
「早朝、鹽竈神社に参詣する。
 鹽竈神社はかつて
 藩主伊達政宗公が再興されて、
 宮柱は太く、
 彩色した垂木は
 きらびやかで美しく、
 石段は極めて高く重なり、
 朝日が朱色の垣根を
 輝かせている。
 このような奥地の片田舎
 であっても、
 神のご利益があらたかで
 おられることこそ
 我が国の風俗であり、
 大変貴いことと思われた。
 社殿の前に古い燈篭がある。 
 鉄の扉の面に、
 『文治三年和泉三郎寄進』
 と彫られている。
 五百年も前の様子が今、
 目の前に浮かんできて、
 ただ無性に珍しいと思われた。
 和泉三郎は、
 勇気、節義、忠孝を
 兼ね備えた武士である。
 誉れ高い名前は
 今に至っても慕わない
 ものはいない。
 誠に人はよく道理を
 わきまえた行いをし、
 節義を守るべきである。
『名声もまたこれに
 自然についてくる』
 というが、
 まさにその通り。
 日はもう正午に近い。
 船をやとって松島に渡った。
 塩釜から二里ばかり
 船を進めて、
 雄島の磯に着いた。」
 という意。

 その灯籠がこの写真だ。

  風格あり。