貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

苦しむ芭蕉を先導したか!

2022-04-30 14:58:57 | 日記
令和4年4月30日(土)
 どうも東陽寺と勘違いしたようだ。
 記憶依存は怖い?

 草加宿の案内が丁寧にされていたので、
取り敢えずこの近辺を散策。
 おせん茶屋公園がすぐ見つかる。
 東福寺正門から5分の処にある。
                            
 学校が傍にあるのか、
 中学生が友だちを待っている。
 おせん茶屋の説明によると、

 かつて、草加町役場の跡地らしい。
 ちょっと雰囲気のある空間である。
 案内板によると、
「おせん茶屋公園」や
「札場河岸公園」も
すぐ傍にあるよう。

 取り合えず徒歩で下見。
 途中に、草加宿の神明庵や
久野家住居跡(大津屋)。

 道路を挟んだ右手、
おせん茶屋公園口に、
バランスの整った「曾良像」がある。

 久し振りに、威勢の良い
曾良の立像を見つける。
 忍者だったのではという
曾良のイメージがマッチする。

 道路を渡ると、
「草加せんべい発祥の地」の碑と、
    
「芭蕉奥の細道紀行300年の祈念碑」
がある。 

 いやあ、痩骨の肩にかかれる物
先苦しんだ芭蕉が思い出されるし、
曽良が先導していく姿も想像され、
草加は本当に素晴らしい処!

やっとの思いで草加の宿に!

2022-04-29 14:29:41 | 日記
令和4年4月29日(金)
 『おくのほそ道』原文では、
<草加>
 「ことし元禄二とせにや、
奥羽長途の行脚、
只かりそめに思ひたちて、
呉天に白髪の恨を重ぬといへ共、
耳にふれていまだに見ぬさかひ、
(もし)生て帰らばと
定なき頼(たのみ)の末をかけ、
其日漸草加と云宿にたどり着にけり。
・・・・。」
 芭蕉の先々への不安と心配、
その内実が手に取るように表出。
 やっとの思いで到着した草加。
草加宿 東 福 寺  

 墓石の数や墓石面積の広さに驚く。
 駐車場に車を置き、山門を潜り、

本堂を参拝!

 鐘楼、庭などよく整備され、
美感も満たされる。
 この寺は、草加宿の祖である
大川図書(おおかわずしょ)が、
慶長11(1606)年に創建。
 僧・賢宥(けんう)が開山したという。
 大川図書の墓あり。

 そして、面白いのは、
不動明王と御仏の足形があり、
丁寧に説明されていること。
 つづく。 


カンカン地蔵に見守られた句碑!

2022-04-27 14:42:44 | 日記
令和4年4月27日(水)
足立区: 安 養 院   

 安養院は、もと千住元町にあり。
 鎌倉時代北条時頼が創建したと
伝えられ、西林山長福寺と称する。
 慶長3年(1598)兵火の災に遭い、
現在地に移り、真言宗西林山長福寺
安養院と改める。
 本尊は、金銅仏の阿弥陀如来で、
鎌倉末期のもの。
 中興開基第1世は賢智上人で、
北条氏の臣高梨氏の出身である。
 以来歴代の住職と檀家の努力で
幸運栄え、
江戸末期から明治初期にかけては
真言密教の檀林となり、
多くの仏弟子を世に送る。
 現在の本堂は、大正12年、
第22世良道僧正によって再建されたもの。

 芭蕉句碑は、
「ゆく春や 
  鳥なき魚の 
     目は泪」 。

 
 境内には、観音堂もあり。

 かんかん地蔵と呼ばれる石地蔵は、
石でかんかん敲くと願いが叶うという。


出立300年を記念して・・・!

2022-04-26 14:44:46 | 日記
令和4年4月26日(火)
足立区: 千住本氷川神社  
     
 千住本氷川神社は、
足立区千住にある氷川神社。
 徳治2年(1307)、
千葉氏によって、牛田に
千葉山西光院と共に氷川神社として創建。
 江戸時代初期、当地に分社として建立。
 明治43年(1910)
荒川放水路建設のため、
牛田氷川神社を合祀し、
さらに昭和45年に社殿を新築して
現在に至っている。
 千住七福神の大黒天。

 平成3年(1991)、
芭蕉翁奥の細道旅立  300年記念
として再建。
 文久3年(1863)建立の旧碑は、
現在足立区立郷土博物館に保
存されている。

 句は、
「春もやゝ 
  けしきととのふ 
      梅と月」
 梅の花もほころび、
それに月の朧が加わって
いっそう春めいてきた、
という句意。


芭蕉が呼んだかな?

2022-04-25 14:13:37 | 日記
令和4年4月25日(月)
 このプチテラスに用いられている
敷石は、昔の「やっちゃ場」の
「せり場」に敷かれていた御影石。

 他、「日光道中 千住宿道標」、
「奥の細道入口、やっちゃ場看板」などが
設置されている。

 「街薄暑 奥の細道 ここよりす」
と菖蒲園の句碑あり。

 また、ここを通る旧日光街道は、
江戸時代の参勤交代で使われた道であり、
当時の様子が描かれたパネルも
設置されている。
 それにしても、行き当たりばったり
の幸運で、こんなのができているとは
想定外。
 やっぱり歩きに勝るものはなしかな!
 芭蕉が呼んでいるかな?