幻住庵に入る! 2022-01-31 14:49:03 | 日記 令和4年1月31日(月) 元禄三年四月六日に幻住庵に入る。 七月二十三日まで寝泊まりする。 この間に、俳文の鑑と見做された『幻住庵記』が書かれた。 これから、この芭蕉晩年の俳文を詠み、鑑賞してみたい。 これが幻住庵の登り口。階段などものぼる。幻住庵の門ここで、執筆。『猿蓑』より復刻された初版本『幻住庵の記』は次回に。
大津市膳所の幻住庵で俳文の鑑を著作! 2022-01-30 13:56:54 | 日記 令和4年1月30日(日) 今日から俳文の鑑とされた『幻住庵記』を再度読み進めることにする。 元禄二年(1689)三月二十七日、曽良を連れて江戸を立った『おくのほそ道』の旅は、八月二十日頃大垣に到着、さらに九月六日、伊勢の遷宮を拝もうとして、舟に乗るところで終わっている。 九月十三日、伊勢神宮を参拝し、下旬には、伊賀上野に帰郷。 11月、奈良、京都、膳所義仲寺の草庵で、年を越える。 この時、膳所の友人の曲水より幻住庵に泊まることを勧められる。 元禄三年四月六日に幻住庵に入り、七月二十三日まで寝泊まりする。 この間に、俳文の鑑と見做された『幻住庵記』が書かれたのだ。 膳所の幻住庵には、二度お邪魔した。 少し、写真も入れながら読み取っていきたい。
『おくのほそ道』日本語の美の極致として完結! 2022-01-29 14:49:17 | 日記 令和4年1月29日(土) 旅の最初、三月二七日の出発時の「矢立の初」が、「行く春や 鳥啼魚の 目は泪」であった。 その旅立ちが九月六日の「蛤の ふたみに別れ 行く秋ぞ」で完結する。 最初にあったのが、別離の寂しさ。 最後に訪れたのが、再会の喜び。 『おくのほそ道』は、この二つの気分の間にある。 江戸の人々と別れ、最後に西国の人々と放浪の人、別れた人、曽良に再会する。 文章と句が相俟って、日本語の美の極致となった
貝と身の分かれ ふたみの別れ 2022-01-28 15:02:37 | 日記 令和4年1月28日(金)『旅のものうさ(心身の疲労)もいまだやまざるに、長月六日になれば、伊勢の遷宮拝まんと、また舟に乗りて、蛤の ふたみに別 行く秋ぞ 芭蕉はゆっくり休む間もなく伊勢に向けて旅立つ。 蛤の貝の部分と身の部分を、分けるようにして人々に別れて旅に向かう。 その旺盛な旅心には驚嘆する。
蕉門下生、師を迎える! 2022-01-27 14:44:35 | 日記 令和4年1月27日(木)波の間や 小貝にまじる 萩の塵 波が寄せては返している。 桜色の小貝に萩の花が浮いて美しい。 それ故に無惨な塵となっていて寂しさを倍加する。「路通 【(斎(いん)部(べ)路通 。乞食放浪の弟子で、奥羽の旅に芭蕉と行くはずだったが、姿を隠したので、曽良が付き添うことになる。 芭蕉の機嫌を損じたが、それが『ほそ道』の最後に姿を現した。】もこの港まで出迎えて、美濃の国へ伴ふ。 駒に助けられて(馬に乗って)大垣の庄に入れば、曽良も伊勢より来り合ひ、越人【尾張蕉門の人、『更科紀行』に同行】も馬を飛ばせて、如行【大垣蕉門の中心人物】が家に入り集まる。 前川子(ぜんせんし)【大垣蕉門】、荊口父子【大垣蕉門】そのほか親しき人々、日夜とぶらひて(日がな一日、来訪して)蘇生の者に会うがごとく、且つよろこび且ついたはる。」 全く芭蕉の門下は素晴らしい。 多彩な俳人がいて師を迎え観ている様、活き活きと描かれている。