何でもない日々

優しさの素は幸せ
幸せの素は楽しい
楽しく生きる人は優しい

虎と桜と管理人

2020-06-18 10:23:34 | 詩はあいまいな哲学
え、このブログの管理人です。

というとちょっと管理能力に優れた偉い人に聞こえます。
ま、他に協力者も支援者も居てなく、一円にもならなくて、
個人の趣味範囲、主だった主張もないブログの管理なんて誰でも出来るんですけどね。
ありがたいことです。良い時代ですよ。

【GMV】戰艦世界-零れ櫻『中文歌詞』


恐怖や怒りは思考された対象ではなく、私たちの内にあるものだ。
現実の同情は慰めにはならないし、現実の怒りはもっと慰めにならないが、
芸術の秘密がここにある。

物が次々と逃げてゆくリズムの力強さ、
この厳かな旅を支配する忘却。
圧縮された時間の容赦のない法則が私たちの思考を対象の外へと浮遊させない。

単純な比喩、明確な輪郭、単調な文体、反復と抑制の結合、
理解するのが難しい、立ち止まって、応える気のない者に向かって問いを発し、
物が通り過ぎるの見、やってくるのを待ち、
見て、待って、ほんの一瞬見つけ出す、でなければ最高の感情は得られない。

自分に還ってくる時間を取り除いて、過大な感情から真に解放される。
未練や嫉妬がファンタジーでなく、
真の歴史であり、固有性(アイデンティティー)であったこと。
固有性は次々に、新しいものの連続的な出現。
その歓喜。

インド旅行中、私が日本人であることを認めると「虎、トラ、とら」とインド人が叫ぶ。
当時その意味が解らなかった。
虎は子育ての一時期だけ雄と雌が助け合い収まって生活し、
思い出に浸ることなどなく後は自由を愛する。

桜にとって生きることは人を癒して喜ばせることのようだ。
普段は凡用な木にしか見えないのに、微かな香りと色で時を知らせ
人の頭上で全力で下向きに咲いて芸術的に風と共に去りぬ。
朽ちるでなく、水々しいまま成熟した花の一瞬を人々は待ち、
集い酔いしれて、異性を誘惑するきっかけや、
見知り人の安否の確認、同士討ちの防止に、
花見より団子の人へも自己主張の場の提供となる。

感情は生々しいが、崇高なものに触れると頑固な断片的な対象も
苦しみに沈黙の時間と愛惜という弾力が与えられ英雄的な見え方も出てくる。

愛は失ってわかる感謝と湧き出す満たしの涙。
離れても、戻れなくても変わらぬ大切さ。

管理能力のない人間にせめて出来ることは、
管理できる範囲内でしか管理しない。
使える=仕えるだから使っているものに仕える。
使えるのに使ってあげないのが勿体ないという意味で
貧困に喘ぎながらも勿体ないことばかりしてて。
断捨離して空間が出来ると、心が軽くなれた。

そして、管理能力=自己主張力なのだと思うから、ないなりに
他人が大切に管理しているのに感心して
我が事のように共感し満足する。
こっそり?応援する。
コメント
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