何でもない日々

優しさの素は幸せ
幸せの素は楽しい
楽しく生きる人は優しい

見世物の本質

2022-01-01 22:04:22 | 詩はあいまいな哲学
伝統芸能の演劇、舞、儀式、祭り、映画等をアンドレ・モーロアは
「人間の風土」と呼び、期待や好奇心の風土とも呼びたい。
風土の効果が生まれるには、その場に同類の人間「時代の子」が
いることが重要で驚愕すべきは、
人は何も知らないで全てを知り得るということ。

数学的辻路を藉りなければ把握出来ないような
彗星や蝕の知耳を子供ながらに所有しており
如何に隠されていても経験によって段階的に極め掴まれている。

人は自分自身を常に有用な真理と看做(かんさ)すかの命題を
汲み尽くせそうもない貧弱な推し進めも
巨大な垬門(ぬかりもん)の下を何度も通っては
捩(ね)じれを戻し、時間の形で見出された真の信仰となり
理解する瞬間に本来の鋭さと強さを発揮して
洞窟に戻り、影と反映に囚われた人々を「ビルスの象達」へ
時間と忍耐があれば限界が見えない勇敢な生徒の体系となれる。

「文化的状況」「好奇心で費やした時間」に依存して
同資源の人間も観念の経験化、多様化と純化の行為が絡まりつつ競う。
遺伝で伝わる人格能力よりも、思考の根底は
媒体の「時代」が次世代の方向を理由もなく決めてますね。

男性で特に若い世代の体に「過剰な好奇心」という言葉の意味はないものらしい。

人間浄瑠璃(ネス SCYTHE JAPAN Kazuho monster) ARMS vol.3 all respectable minority styles
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感性度

2022-01-01 17:05:52 | 詩はあいまいな哲学
風のように逃げるのが常の対象を掴もうとするのは
感情の内容の追求となる。

変化する物の基盤に存在を纏た身体こそが不変の物体として
自分の形成作用「自分に向かって言う、踊る」自我の二重化と
多数が同じ瞬間に同じ動きをする同時性の理由には
音楽が目に見えない親密な感情と体を繋いで
身体機能を鍛え機能を開拓する
ということは身体を解剖することである。

身体解剖をモチーフにした芸術作品ではなく、
作品が組織を生きたまま解剖し
ダンスする動きそれ自体が物のような姿で浮かび上がり
組織が時間的に再組成されていく。

感性抜きの体を考えることは時間が逃げるだけのことで
未来、運ばれる運命のイメージと結ばれない。

自我は表現されるのではなく寧ろ要求される「装置」で
利用されて反映されたり排除されたり
その都度喚起力(換気力?)を試されて循環している。

それ自体、単体で純粋であることが出来ず
外部からの攻撃で隣接を否定し「〇〇という混じり物のない」と
漠然と境界線を引くことによって純粋が成立し、
攻撃を通じてしか規定する自己を持てない戦略が循環である。

Dhoom Again - Full Song (with Opening Credits) - Telugu Version - Dhoom:2

風やプロペラを表現で使っている音楽をピックアップしてみた。

まだあるだろうかな~。風は何処でも吹くし。
映像に音楽に組み立て方に、衣装や心意気にと。どれもこれも素晴らしいっ!!!

2021-12-30 23:48:46の追記
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