私達は考えの道筋を外さぬよう歩みを進めてきた。
たしかにそのように思えて実行し実現に関わり作品の土台となり
作品を自然と合体させ形としてではなく、
素材として体として要素としての力で入り込んだ。
一人我が道をすぐさま実現する思考は多少とも狂ったところがあり
詩人が風景を語る時、私達の主題に帰って思考を制限し、
思考を支えるのは、水の鏡や窓や木々の葉や幹が映す思考のような自然。
詩人と自然の結びつきを最初は誰も求めない。
それが和解の感情に依る彼の声、歩み、眼差しに見出される時に
服従する場面を現出する。
形が思考から出てくるものは詩ではなく工業で
詩は真実としてあり誠実であるだけでは足りず
彼自身が闇に包まれながら、
永遠に自然を追いかけなければならない問題に焼かれる。
都市は支配的な風向きに動く煙のようなものと言われるが
煙に逆らうこの動きも気候が指示したものと思える。
法則の元のMVは舞台芸術を駆使した表現であったが、
人間の強さ弱さとは?
優しさはそれを認めるというだけのことでしかないと表現したのかなと、
自然に服従すると同時に自然に勝利し自然が精神となって、
屋台の店が人を喜ばせる気がなくとも優しい理由はそこにある。
มึงกับกู OST. 4KING | ปอนนิพนธ์ x The Cat