アイヌとコリアンは共に大日本帝国によって蹂躙された民族だが、
この件について以下の文を紹介したいと思う。
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私は日本全国の100校近い小中学校を講演や特別授業で訪問したことがありますが、
それらの学校で経験したものとは相当な違いがあります。
日本の学校で見られる校内のイデオロギー対立、
授業放棄や学級崩壊、PTAと学校の対立とかがまったくなく、
ウリハッキョに行くとほっとするのです。
アイヌ民族の私の立場からすると、そういう学校が羨ましいかぎりです。
朝鮮学校では、授業は朝鮮語。生徒たちは日本語も朝鮮語もペラペラです。
中学からは英語も学ぶわけですから、バイリンガルとして
国際的に活躍できる大きな可能性を持った学校だと思います。
校内では民族文化の伝承が、みんなで行われています。
学校創立50周年記念の公演(昨年11月)もとても素晴らしいものでした。
学校では日常的に民族楽器の音色が聞こえてきます。
学校を持たないアイヌ民族の一人として羨ましいです。
~中略~
アイヌ民族との共通性
私は世界のこれまでの歴史の中で、
朝鮮民主主義人民共和国の近現代史というものの中で育まれてきた思想、
哲学というのは、世界一ではないかと思っております。
アイヌ民族の近現代史と、朝鮮民族、
在日コリアの近現代史というのは多くの共通点があります。
その根源はまさに日本の植民地政策そのものにあります。
明治政府による対アイヌ政策というのは、言わば欧米列強を真似た植民地支配なのです。
いわゆる明治政府の富国強兵、殖産工業政策、
サムライ社会から近代欧米社会に追いつこうという、
この急激な政策が、結局は天然資源が欲しい、労働資源が欲しいということになり、
それを確保するために植民地支配が行われたのです。
まずその矛先が向かったのが、北海道のアイヌに対してなのです。
国内植民地として、北海道開拓などといって、実際は侵略をしたわけです。
しかもアイヌ民族に対して、旧土人と言う名前を付け、
強制的に日本人にする同化政策をとりました。
この広大な北海道の土地を、主がいない無主地として取り上げてしまいました。
国有化という名のもと、どんどんその後分配していったのですが、
アイヌ民族にとっては、土地を売った覚えもなければ貸した覚えもありません。
そこで得た天然資源は、日清、日露戦争に活用されました。
この事実が「北海道開拓」の本当の姿です。
アイヌ民族に対する創氏改名、民族文化否定といった政策が
朝鮮を植民地化する手法に取り入れられたのはまぎれもない事実です。
戦後、日本は経済大国になったと言われましたが、それは朝鮮戦争で特需があったからです。
なぜこうしたことを忘れるのか、本当に都合の良い人たちだなと、いつも思います。
まさに「高校無償化」問題をはじめとする、
在日コリアンに対する日本政府のやり方というのは、
こういった日本の近現代史を象徴するものに思えてならないのです。
“なせば成る”を実証
私は北海道のウリハッキョ、朝鮮学校を知っています。
民族教育をしっかりやっています。アイヌ民族にとって、
朝鮮学校は母語回復と民族自立の手本になるものと思います。
この地球上でいったい誰が民族の自己決定権を否定できるのでしょうか。
それを日本政府自ら行っていることに怒りを感じます。
とくに最近では、いわゆる「日本人論」が妙な形で台頭しています。
「サムライ日本」の「サムライ」って言わば人殺しなのでは?
何か言ったら、人をぶった切っていい人たちなのですから。
新渡戸稲造がその「日本人論」をカナダで打ち立てて、
欧米の騎士道に対して、武士道なるものをでっちあげたことが実はその由来なのです。
そのことも多くの日本人は知らない。
「なでしこジャパン」の「なでしこ」も同じです。
日本人というのは国際的にいい顔して、いい子ぶるのですが、そこには裏の顔があります。
日本は今、国家の品格そのものが問われています。
国連の常任理事国になりたいと言っていますが、
しかしそれは、自分の国で国連の各種人権法を遵守して
初めて言えることなのではないでしょうか。
chosonsinbo.com/jp/2012/04/uri/
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朝鮮学校を褒めすぎなような気もするが、
自分たちの言語で民族の歴史を学ぶというのが
どれほど恵まれていることかということは伝わってくる。
また、アイヌ民族とコリアン民族の歴史の共通性に関する部分は、
まさにその通りで、大日本帝国は北海道で練習した方策を朝鮮で実践・改良したのである。
強制連行と創氏改名の前身がアイヌ民族への同化政策だった。
この歴史を知らない人間は意外と多い。
これは別に右傾化しているからだとかそういうものではなくて、
いかに学校で習った日本史というものが表面的な事件を
なぞっただけのものであったかということを示してくれる。
極右は、日本史の授業を「反日」「自虐史観」というが、
実際には、むしろ中途半端に教えることで肝心の事実を隠してきたのである。
そういうのも含めて、あと1か月で戦後70年に到達する今、
右翼だけでなく左翼の反省も含めて歴史を見直す時が来たと私は思うのである。
この件について以下の文を紹介したいと思う。
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私は日本全国の100校近い小中学校を講演や特別授業で訪問したことがありますが、
それらの学校で経験したものとは相当な違いがあります。
日本の学校で見られる校内のイデオロギー対立、
授業放棄や学級崩壊、PTAと学校の対立とかがまったくなく、
ウリハッキョに行くとほっとするのです。
アイヌ民族の私の立場からすると、そういう学校が羨ましいかぎりです。
朝鮮学校では、授業は朝鮮語。生徒たちは日本語も朝鮮語もペラペラです。
中学からは英語も学ぶわけですから、バイリンガルとして
国際的に活躍できる大きな可能性を持った学校だと思います。
校内では民族文化の伝承が、みんなで行われています。
学校創立50周年記念の公演(昨年11月)もとても素晴らしいものでした。
学校では日常的に民族楽器の音色が聞こえてきます。
学校を持たないアイヌ民族の一人として羨ましいです。
~中略~
アイヌ民族との共通性
私は世界のこれまでの歴史の中で、
朝鮮民主主義人民共和国の近現代史というものの中で育まれてきた思想、
哲学というのは、世界一ではないかと思っております。
アイヌ民族の近現代史と、朝鮮民族、
在日コリアの近現代史というのは多くの共通点があります。
その根源はまさに日本の植民地政策そのものにあります。
明治政府による対アイヌ政策というのは、言わば欧米列強を真似た植民地支配なのです。
いわゆる明治政府の富国強兵、殖産工業政策、
サムライ社会から近代欧米社会に追いつこうという、
この急激な政策が、結局は天然資源が欲しい、労働資源が欲しいということになり、
それを確保するために植民地支配が行われたのです。
まずその矛先が向かったのが、北海道のアイヌに対してなのです。
国内植民地として、北海道開拓などといって、実際は侵略をしたわけです。
しかもアイヌ民族に対して、旧土人と言う名前を付け、
強制的に日本人にする同化政策をとりました。
この広大な北海道の土地を、主がいない無主地として取り上げてしまいました。
国有化という名のもと、どんどんその後分配していったのですが、
アイヌ民族にとっては、土地を売った覚えもなければ貸した覚えもありません。
そこで得た天然資源は、日清、日露戦争に活用されました。
この事実が「北海道開拓」の本当の姿です。
アイヌ民族に対する創氏改名、民族文化否定といった政策が
朝鮮を植民地化する手法に取り入れられたのはまぎれもない事実です。
戦後、日本は経済大国になったと言われましたが、それは朝鮮戦争で特需があったからです。
なぜこうしたことを忘れるのか、本当に都合の良い人たちだなと、いつも思います。
まさに「高校無償化」問題をはじめとする、
在日コリアンに対する日本政府のやり方というのは、
こういった日本の近現代史を象徴するものに思えてならないのです。
“なせば成る”を実証
私は北海道のウリハッキョ、朝鮮学校を知っています。
民族教育をしっかりやっています。アイヌ民族にとって、
朝鮮学校は母語回復と民族自立の手本になるものと思います。
この地球上でいったい誰が民族の自己決定権を否定できるのでしょうか。
それを日本政府自ら行っていることに怒りを感じます。
とくに最近では、いわゆる「日本人論」が妙な形で台頭しています。
「サムライ日本」の「サムライ」って言わば人殺しなのでは?
何か言ったら、人をぶった切っていい人たちなのですから。
新渡戸稲造がその「日本人論」をカナダで打ち立てて、
欧米の騎士道に対して、武士道なるものをでっちあげたことが実はその由来なのです。
そのことも多くの日本人は知らない。
「なでしこジャパン」の「なでしこ」も同じです。
日本人というのは国際的にいい顔して、いい子ぶるのですが、そこには裏の顔があります。
日本は今、国家の品格そのものが問われています。
国連の常任理事国になりたいと言っていますが、
しかしそれは、自分の国で国連の各種人権法を遵守して
初めて言えることなのではないでしょうか。
chosonsinbo.com/jp/2012/04/uri/
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朝鮮学校を褒めすぎなような気もするが、
自分たちの言語で民族の歴史を学ぶというのが
どれほど恵まれていることかということは伝わってくる。
また、アイヌ民族とコリアン民族の歴史の共通性に関する部分は、
まさにその通りで、大日本帝国は北海道で練習した方策を朝鮮で実践・改良したのである。
強制連行と創氏改名の前身がアイヌ民族への同化政策だった。
この歴史を知らない人間は意外と多い。
これは別に右傾化しているからだとかそういうものではなくて、
いかに学校で習った日本史というものが表面的な事件を
なぞっただけのものであったかということを示してくれる。
極右は、日本史の授業を「反日」「自虐史観」というが、
実際には、むしろ中途半端に教えることで肝心の事実を隠してきたのである。
そういうのも含めて、あと1か月で戦後70年に到達する今、
右翼だけでなく左翼の反省も含めて歴史を見直す時が来たと私は思うのである。